犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

「清須会議」 ※ネタバレあり

三谷幸喜監督再最新作「清須会議」を観てきた。

 

三谷作品は、完璧なデビウ作「ラヂオの時間」以降、可も無く不可も無い無難な喜劇を作り続けていると云う印象で、ご本人の映画に懸ける想いは感じるものの、作品を劇場で観ること自体が幸せな体験になる、と云った期待は、正直薄い。

しかし、フジの資本をバックにオールスターキャストの映画を作り続けられる立場ってのは、幸せだと思う。皮肉抜きでそう思う。

 

今作「清須会議」も、見事なオールスターキャスト。夏に、地元のシネコンに「風立ちぬ」を観に出掛けたとき、巨大なポップが飾られていて、これは面白いのではないか、と云う食指が動いた。オレは小日向文世さんの大ファンなので、それも期待を掻き立てた。秋になって公開されたら、これは観に行かねば。

 

本日、公開日にシネコンに駆け付け、期待して観た。

今の気持ちは、「うーん…」と云う感じだ。

 

悪い作品ではない。破綻もないし、三谷さんのドラマや舞台を昔から観てきたファンとしては、安心して観られる三谷ワールドだ。

だが、映画的快感に決定的に欠ける。これはなんとも寂しい。

 

清洲会議は、織田信長亡き後の織田家家臣団の行く末を決めた重要な会議であり、厳然たる史実だ。

柴田勝家丹羽長秀羽柴秀吉池田恒興。この四人による会議で、結果、織田家の次期当主は信長の嫡孫、三法師(当時わずか三歳。後の織田秀信)に決まる。

道具立てと結果は史実から動かしようはない。それを外枠に、あとはどれだけ想像力を羽ばたかせるか、だ。

 

三谷さんは、この部分でも実に端倪すべからざる技能を持っている。大河ドラマ新選組!」もそうだったし、舞台「巌流島」も見事だった。史実の裏に「こんな風に展開させたら面白い」と云うような状況を絡ませ、オモロウテヤガテカナシキ物語を紡いでみせる。

清須会議」では、その技量が、はっきり云って活かされていなかった、とオレは感じた。

 

清洲会議は史実だから、観客の一部はその結果について何がしかの知識を持っているだろう。会議自体を知らなくても、後に秀吉は天下を統一するのだから、秀吉が勝つのだろうと容易に想像がつく。

三歳の子供に家督を継がせると云うのは、フツーに考えてヒジョーシキなことだから、しかも実際そうなったのだから、これが物語の肝になる。ならその部分は、隠すべきではなかったか。

清洲会議を知らない人(観客の大半はそうではないか)は勿論、知っている人にとっても、秀吉の隠し玉が三法師だった、と云うのはどんでん返しの種になる。川遊びをする松姫、寧、三法師を見て、秀吉と官兵衛が思いつく、と云うのも、直接的な表現を避けられたし、長秀を取り込もうとする際にも、三法師の名を出さず、秀吉が事前に長秀を訪れた、と云う描写だけでよかったはずだ。

説明が過ぎるので、映画的な快感に欠けるのだ。それがこの「清須会議」と云う作品の、最大の弱点だと思う。

 

良作ではあるが、是非とも劇場に足を運んで、とお薦め出来ない歯痒さ。DVDやテレビ放映を待ってもいいかも、と取り敢えず云っておこう。スタッフ、キャストの皆さんには申し訳ないのですが。