犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

38年目のピアノ

古い話から始まります。

1975年。昭和50年。オレは10歳。小学4年生。
3歳下の妹も小学校に上がる、と云うことで、親がピアノを買った。ご近所さんの同級生と一緒に、ピアノ教室に通わせることにしたのだ。
買ったのはヤマハのアップライトだった。妹を通わせるにあたって、お袋はオレにも「アンタも習うか?」と聞いてきた。ピアノなんか女の子のするもんだ、と思っていたオレは「習わない」と答えた。今から思うと、何と云うステロタイプな狭い認識だったことか。小4だから仕方がなかったとは云え、あの時ピアノを習っていればと、切実に思う。

妹は町内のピアノ教室にいそいそ通い出した。家でも練習をする。横で見ていると「お兄ちゃん見んといて」と云って弾くのを止める。面白いから尚も見ていると、とうとうお袋に「邪魔しな」と怒られた。
どう云う段階でレッスンが進んでいくのか、詳しいことは分からないが、「バイエル」とか「ソルフェージュ」とか云う言葉は耳に入った。心斎橋にピアノの発表会を聴きに行ったこともあった。発表会場のエントランスの、吹き抜けのフロアに据え付けられた、人もまばらなエスカレーターを逆走して遊んで怒られた。帰りには心斎橋に今もある中華料理屋「大成閣」で食事をした。初体験の回るテーブルの中華料理に昂奮した。

オレが中学に上がり、ギターを始めた頃も、妹のピアノのお稽古は続いていた。発表会を観に行くことはなくなり、オレは専ら、さだまさしやアリスをコピーしていた。たまーにチューニングの音を取ったりしたが、オレ自身はそれ以上ピアノと触れたりはしなかった。

1981年。昭和56年。オレが高校に上がると、3歳下の妹は中学生になった。中学に上がった途端、妹はピアノの稽古を辞め、バドミントン部に入った。居間にデンと置かれたピアノを弾くものが居なくなった。
3年経って、オレが大学に上がり、妹は高校生になった。オレは演劇部に入って台本を書き始め、ギターは部屋弾き程度になった。妹はバドミントンを辞め、今度は吹奏楽部に入りクラリネットを吹き始めた。ピアノは誰も弾かない。

誰も弾かないのだが、お袋は何を思っていたのか、2年に1度のペースで調律はしていた。誰も弾かないのは勿体ないからと云って、自動演奏の機能を付けたりもした。
1999年。平成11年。妹が結婚した。相手は4歳年上の、市内の印刷屋の店主だった。嫁入り道具にピアノを持って行くかと思っていたら、持って行かなかった。ピアノはやはり、オレの家の居間にデンと置かれたままだった。

2006年頃から、オレは約20年、まともに弾いていなかったギターを弾き始めた。エピフォン・カジノを買い、ヤフオクでテレキャスターを落札し、三木楽器のアメ村教室でジャズギターを習い出し、ギブソン・ES-165も買った。この頃、知り合いになったユキさんに誘われて、翌2007年にはジャムセッションに初参加した。堰を切るように音楽の方に向かって動き出した。
ピアノは、音を取るためにチョコチョコ弾いたりしたが、その頻度は数える程だった。そんな折、お隣さんがピアノを欲しがっていると云う話が舞い込んできた。娘さんが小学校の教師をされて居り。授業でピアノを弾かねばならない。習う必要もある。そう云うこともあったので、調律だけはしていたが、弾かなくなって20年以上経つピアノを、隣家に進呈することになったのだった。

しばらく、週末になると、娘さんであろう、ピアノを練習する音が聴こえてきたものだった。よかったよかった。弾いてもらえる人の所に置いてもらうのが一番いいではないか。そう思っていると、お隣の娘さんが、仕事でシンガポールに行くことになった。1年か2年、現地で教鞭をとることになったらしく、またピアノの音は鳴らなくなった。
去年、娘さんは帰国されたが、実家である隣家には戻らず、マンションを借りたらしい。ピアノは入れられない。ピアノは置き去りになった。
そしてお隣の奥さんが、最近になってお袋に相談をしてきた。
「私ら夫婦ね、もう歳取って、この辺の坂多いとこで暮らすの、しんどなってきてね。駅前に出ることにしたんです。この家、売ることにしたんやけど、お宅から貰たピアノ、どうしましょ?」
運搬費だけ出してもらって隣家に進呈したピアノを、今度は運搬費を出してまた引き取る、と云うのもドジな話だ。引き取ったところで、改めて弾き始める訳でもない。かと云って、打っ棄ってしまうのも忍びない。何かいい方法はないものか。
そこではたと思い当った。ここ1年、阪急高槻市駅前のジャズバー「Billies Bounce」の月いちワークショップに通っていて、高槻ジャズストリートのドン、ベーシストの蓑輪裕之さんの知遇を得ている。蓑輪さんに相談してみよう。来年のジャズストに参加を検討している店に置いてもらったり出来たら、ピアノも本望なのではないか。

Billiesのバーテン、くりすさんに連絡して、蓑輪さんに話を通してもらい、蓑輪さんからも「是非とも使わせてほしい」と快諾を貰った。先日の日曜、ワークショップの際に、直接お話もした。「一度、直接音を出してみたいんやけどね」と仰ったので、お隣さんの都合を聞いて、水曜の夕方、来てもらうことになった。

で先ほど、蓑輪さんは代車だと云うポルシェのオープンカーでやって来た。連れ立って隣家に行き、前面の板を外して、ハンマーの状態を確認しながら音を出した。改めて分かったのが、ピアノがヤマハのUシリーズと云う型だったこと。年代から見て、U3と云うことになるらしい。
音を出し、ペダルの状態も確認して、蓑輪さんも「分かりました。僕が責任を持って、嫁ぎ先を世話します。お店とか、個人でも欲しいと仰ってる人も居ますから」と太鼓判を押して下さった。よかったよかった。どっかのお店に入ってくれたら、沢山の人の手で、音楽を奏でてくれるんじゃないか。ピアノもようやく「本領発揮だ!」と思ってるんじゃなかろうか。

でオマケも付いてきた。お隣の奥さんが「お兄ちゃん、コレ、息子が昔買うて、放ったらかしにしてたんやけど、もうウチに置いてたかて捨てるだけなんやけど、居る?」と云ってアコギを出してきた。Legendと云うブランドのアコギ。弦は錆び錆びで、指板もザラザラで、低音弦のペグは逆巻きだが、ネックは反ってないし、ちゃんとリペアして、弦も換えて、PUとか付けたら面白いかも、と思い貰い受けた。これで9本目のギター。五年目のギター。これは六文銭ですな。