犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

初老の抵抗 新年の決意

2010年の夏から秋にかけて、奈良の大和郡山にある大手家電メーカーS社の工場で、複合機の内臓制御ソフトの開発を担当していた。高槻から、JRで梅田~環状線で鶴橋~近鉄奈良線で奈良~路線バスで大和郡山と云う通勤ルートは片道2時間半、朝は5時半起き、6時過ぎには家を出る毎日だった。

このとき、ケータイのアラームを5時半に合わせて起きていたのだが、この習慣が身に付いていて、今でも5時半に一度アラームを鳴らし、テレビを点け朝のワイドショウをうとうとしながらチェック、6時半にもう一度アラームを鳴らして起きだし、顔を洗い歯を磨き、朝飯を食って7時15分頃家を出るのがここ最近のルーティーンになっている。

さて、2014年も明けて7日経った訳だが、早速凹むことばかり続いている。元日の夜、すき焼きを食いビールを飲んでいたら、左の足の親指の付け根が疼き出した。ここ1年くらい治まっていた痛風だ。正月休みだから近所の内科も開いておらず、仕方が無いのでロキソニンを飲み水を大量に飲んでどうにかこうにか誤魔化した。
血圧の方も上が160、下が110辺りで小康状態、降圧剤もあと1週間分しかない。日曜に梅田のALWAYSに、ZEL兄鈴木さん声掛けの新年会に出掛けたのだが、後半のセッションで騒ぎまくったら、電池が切れて、体の節々は痛むし、折角の楽しい新年会だったのに、帰路ではどんよりしていた。月曜、それでも仕事はのんびりと様子を見ながら出来たことが幸いだったところか。

考えてみれば、昨年9月で48歳になった。今入っている現場は、丁度10年前、別の案件で開発に参画したN社で、当時は37歳~38歳、まだまだいくらでも無理が利いた。日曜の関空発羽田行きの最終便に乗り、定宿にしていた大田区東糀谷の東横インにチェックインし、明けて月曜から金曜までは、品川駅に直結したビルの事務所で仕事をしていた。忙しい時は、ホテルに帰る時間も惜しく、夜9時頃までデスクで仕事をし、一旦近所の銭湯に出掛けて汗を流し、またデスクに戻って深夜1時頃まで仕事を続け、フロアにだーれも居なくなったら寝袋を抱えて会議室に入って寝る、と云うようなことを2週間連続でやり、「あいつはビルに住んでいる」とまで云われたものだった。
しかもこれは、地元大阪での話ではない。東京に出張していた頃の話なのだ。

仕事はともかく、遊びでも随分無茶をしてきたが、この2年くらい、急速に限界を感じるようになってきている。去年のジャズストなど、2日間で4本ライブをし、仲間のライブも楽しみ、はしゃいで騒いで、その結果、オールアップ後の翌日、体の震えが止まらない、と云うような体たらくだった。
心の底から遊びも楽しんで、そのツケを漏れなく払わねばならん、と云うのはドジだし切ない。なんとかせねばならぬ。

そこでひとつ決心をした。何の為に毎朝、5時半にアラームを鳴らし、一旦目を覚ましているのだ。5時半に起きてから大方2時間、出勤まで時間があるではないか。だったらダラダラ二度寝してる場合ではない。20分でも30分でも、ランニングをして汗をかいて、シャワーを浴びてさっぱりしてから出勤すればいいではないか。
体重だって落とさねばならんのだ。血圧だって薬にばっかり頼っている訳にはいかない。胡麻麦茶飲んだって、ダラダラ食っちゃ寝してたんじゃ本末転倒だ。

と云う訳で早速、今朝から早朝ランニングを始めた。市バスの循環ルートの一部を約30分。ゆっくりゆっくり。息は上がったが止まることなく走った。冬の朝の空気は冷たいが、少なからず体も温まる。
シャワーを浴びたことで体も起きる。今日一日、ふくらはぎは少し張っていたが、頭がボーッとするようなことはなかった。先ずは良い傾向なのかな。

こうやって日記に書いてしまえば、後から云い訳も出来ないしね。とにかく、先ずは今年のジャズスト。はしゃいで騒いで、それでも疲れを持ち越さないように。
これが新年の決意なのであった。