犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

十五年前の 無作為の 決意なり

引き出しの中を整理していたら、昔使っていた原稿用紙が大量に出てきた。アラサーなんて言葉なぞ無かった頃、二十代の後半、社会人仲間や大学の後輩と旗を揚げて、小劇場芝居なんぞをやっていた。自分で台本を書き、演出していたのだが、その頃使っていた原稿用紙だ。ぱらぱらめくってみるだけで、尻の穴がこそばゆくなるような、台詞のやりとりなり、モノローグなりが残って居て、ちょっとノスタルジィに浸ってしまっていた。

その中に、今のオレの立場や思いに、バチンとはまり過ぎるようなモノローグがあった。受験生が使う、英単語の虎の巻に付いていた、赤いセルロイド板で見てみたら、保護色で隠れることが出来るくらいに、赤面ものなのだが、ちょっとだけ手を入れて、転載してみる。

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気が付けば私達は、垣根の中に居た。
広がる青空の下、緑の牧草が繁る丘の上の、白い垣根に区切られた、決して狭くはないエリアが、私達に与えられた全てだ。
そこは確かに居心地がいい。私達は各々、垣根の中で、転げまわったり、駆け出したり、草を食みながら空を眺めたりしていた。
羊の縫いぐるみを着せられているのだ、と思っていたが、どうやら私達は、本当に羊のようだ。それが悪い夢なのか、現実なのかは、確かめようが無い。
優しい眼で、私達を見守る牧童は、あまり長く垣根の向こうを眺めていると、不意に怖ろしい眼つきに変わり、私達を追い立てる。時には鞭さえ振るう。仲間は諦めて、垣根から離れていく。
それでも私は、垣根の向こうを見ていた。
牧童が睨みつけようが、鞭で打とうが、私は、仲間のように諦めはしなかった。
垣根の向こうに見えるのは、ヒース生い茂る嵐が丘だ。誰に教わった訳でもないのだが、私にはそれが分かった。
「ヒース生い茂る嵐が丘」と、私は声に出して云ってみた。しかし私の声は、いじけたような、羊の声でしかなかった。
その、嫌な思いを振り払うように、私は考えた。
あそこには自由が薫っている。あの丘の上に立てば、私は自由になれる。
理由などなかった、私はそう信じた。私にはそれが分かったのだ。
そして、次の瞬間、私は駆け出していた。牧童の怒声にも、仲間の哀れんだ叫びにも耳を貸さず、私は駆けた。
丘は、蜃気楼のように、私が近付いた距離だけ遠ざかっていく。それでも私は駆け続けた。
私は、垣根の外に居る。だから私は駆け続けるのだ。
ヒース生い茂る嵐が丘を追い続けて、私は垣根の外を、どこまでも駆けて行く。
もう二度と、垣根の中には戻らない。躓こうとも、倒れようとも、私は駆ける。
ヒース生い茂る嵐が丘に、私は立つのだ。

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若い若い。そして、キモチワルイことを承知で、この頃をオレを抱きしめてやりたい。
15年前の自分に、勇気付けられて、オレってば。