犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

猫が好き だからと云つて 居られぬか

1989年、大学を辞めて、少しだけフリーターをして、某ソフト会社に就職して、研修で東京に行き、常磐線の東の外れ、我孫子の天王台と云うところにあった、会社が社員寮として借り上げている、アパートの一室に叩き込まれた。駅前にパチンコ屋がある以外、遊ぶところは何にもない街で、それ以前に、神田から15分ほど歩いたところにあった会社に出勤するのに、常磐線で日暮里まで出て、山手線に乗り換えて向かう1時間半、同期入社の小柄な女の子なんか、人混みに押し潰されてしまうような異常な混雑が延々続く通勤ルートで、出勤だけで気力も殺がれる1ヵ月半の研修だった。

六畳の和室に、新入社員二人で寝泊り。プライベートも何もない。とは云いながら、前職はテレビの制作会社でADの見習いをしていたと云う、広島出身の同期の男とは、何となく気が合って、それなりに楽しんだ研修でもあった。

週末に、その頃はまだフツーの電気街だった秋葉原に出て、1万円だったか、4インチの携帯テレビを買った。やっぱり、その位の娯楽は欲しかったのだ。
23年間、関西で生まれ育った身には、2chが1ch、12chが2ch、4chが6ch、6chが10ch、8chは8ch、10chが4ch、19chが12ch(ワザと分かりにくく書いてます)と云うだけのことすら、カルチャーショックだった。

フジテレビの深夜にやっていた、「やっぱり猫が好き」と云う、不思議なドラマに出逢ったのもこの頃だった。桜沢エリカのイラストのバックに、矢野顕子の「David」が流れるオープニングの、印象的だったこと。

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もたいまさこ室井滋小林聡美演じる、恩田三姉妹の、ユルくて、騒々しくて、可愛らしくて、軽妙なやりとりが楽しかった。そう辛い訳でもなかったが、流れに押されてしまいそうになる、面倒な研修の日々を、ほんの少し、潤してくれるドラマだった。

三谷幸喜の名前には、このときには気付かなかった。1991年に「12人の優しい日本人」と云う映画が公開されて、初めてその名を知り、1994年にドラマ「警部補 古畑任三郎」でメジャーになってから、彼の情報が入り易くなり、あの「やっぱり猫が好き」の脚本を担当してたのかー、と云う順番である。

その後、三谷幸喜小林聡美は結婚。殊更に、おしどり夫婦と云う感じではない、適度な距離感と、お互いを理解し合っているような関係は、好もしいものだったのだが。
離婚ですか。夫婦って、やっぱり難しいもんなんですなァ。
ちょっと残念。

三谷幸喜小林聡美夫妻が離婚「小さな違いが積み重なった」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1611454&media_id=54