春は花 花は桜木 男は岩鬼
桜について日記を書こうとおもったら、こんなタイトルになっちゃった。
高槻に住んで40年になる。40年前から、家のはす向かいの児童公園には、桜が植わっている。
子供の頃は、低く又の分かれた桜をよじ登り、丁度いいバランスで身を任せられる枝振りがあったので、そこで昼寝をしたり、空を見上げてボーッとしたりもした。
桜は、不思議な花だ。暖かくなると一斉に咲き、あっと云う間に、一斉に散っていく。何と云うか、傲慢な花だ。
小さな花弁。薄い桜色。可憐なイメージなのに、その咲き方、散り方は実に勝手だ。見ているものの都合なんかお構いなし。
それで居て、咲いているその時は、圧倒的に、心に沁みこんでくる。
オレは、どうしても、桜については、二つの小説の描いたイメージを思い浮かべてしまう。
何れも、桜の花の、禍々しさについて書かれた小説だ。その禍々しさこそが、桜の花が人の心を捉える、最大の力なのか。
土曜の夜の雨も、今日の夕方の雨も、桜を散らせる程ではなかった。また勝手に散ってしまわない内に、はす向かいの公園の夜桜でも見に行こうか。
禍々しくも、心に深く沁みこんでいくその力に浸りに。花冷えの夜に。