犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

その時に オレは涙を 流せるか

死刑については、この日記でも、何度か書いた。オレは、消極的ながら、死刑制度存続の立場だ。

「人の命を奪った者は、その命を以って償うべきだ」と、単純に語ることなんて出来ない。因果応報で、法を語ってはいけない。裁判は、復讐の場ではないはずだ。

しかし、被害者遺族の感情にも、推し量らざるを得ないところもある。オレ自身が被害者遺族だったら? そこに目を瞑っている訳にはいかない。
被害者遺族に、復讐を認めていない以上、国家が科する量刑に、死刑は不要だ、とはオレは云えない。死刑と無期刑の間の、実質的な差が大きい以上、現時点で、死刑を廃止すべきではない、廃止出来ないと、オレは考えている。

勿論、死刑が犯罪の抑止になるかどうかも、議論の分かれるところだとは思う。池田小の事件や、土浦の連続殺人事件のように、確信的犯行もある。彼らには、死刑判決を与えるべきではなかったのではないか、とも思う。日本に、終身刑や無制限の有期刑(いわゆる懲役数百年のような)ものがあるなら、その「死よりも深い孤独」を与えるべきではなかったか、とも思う。

「お前を殺しはしない。しかし、お前が生きている限り、社会復帰はさせない」

死刑よりも残酷かもしれないそれは、受刑者にも、被害者遺族にも、当初は不要だと信じていた、永い永い時間を用意するものかもしれない。
その時間が、何かを変えるかもしれない。変えないかもしれない。
しかし、その時間は、決して無駄にはならないようにも思うのだ。

そして、裁判員制度だ。今回、死刑が求刑され、死刑判決が下った。これは重い。そして怖ろしい。一般市民が、法の名の下に、被告に「死ね」と云ったのだ。

それは、オレにもやってくる瞬間かもしれないのだ。

今回の判決に関わった、裁判員の方々の判断に、オレは敬意を表したい。
苦しくない訳がない。辛くない訳がない。
今回の判断が、正しかったのかどうか。それもおそらくは分からない。

それでも、この判断が、冷静なものであったと、オレは信じたい。

50代裁判員「法廷で何度も涙」
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