犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

彼の店員 どこでどうして ゐるのやら

もういい歳なので、コンビニの店員と、仲良くなろうとも思わないし、出来れば、最低限の接客態度で対応してくれたら充分だ。

近所には一軒だけ、7とか11とか云う最大手コンビニがあって、週に数回は行く。週末など、おにぎりなんかを買って行くこともあるのだが、昼間は出来るだけ避けている。パートのおばさんがいて、必要以上に(当社比)、愛想がいいのだ。
気さくなおばさん、と云う感じなのだが、気さく過ぎて疲れる。接客マニュアル範囲の応対をしてくれれば充分なのだ。「いつもありがとうねー」などと云われると、却って気が滅入る。
まぁ、いち利用者の、勝手な云い草ではあるのだが。

別にホレたりはしないが、ひとり、忘れられない、コンビニの店員が居る。
数年前、平日は東京出張、週末だけ帰阪と云う仕事を、1年半続けたことがある。最初の1年は芝、後半の半年は品川が現場だった。

芝で仕事をしていたときは、月曜の朝、新大阪から新幹線に乗り、昼前に到着。そこから一週間、第一京浜沿いのビルにあったデスクで、打ち合わせだのソフト開発だのテストだの。仕事が終わると、田町駅から京浜東北線に乗って川崎まで行き、東横インを定宿にしていた。

ソフト開発は、なかなかタイトな仕事で、本番稼動の直前などは、テストテストで、作業が深夜まで及ぶこともある。ある一週間など、ホテルに帰る時間も勿体無く、予約を全てキャンセルし、デスクで21時くらいまで仕事をする。そこで一旦休憩。一週間分の着替えだけは準備してあるから、それをカバンに入れて、近所の銭湯に行く。ひとっ風呂浴び、少し休んでから、途中のコンビニで晩飯を買い、デスクに戻って飯を食い、仕事再開。日付変わって1時くらいになると、さすがに他に残っている人間は居なくなる。そこでその日の作業を締めて、Tシャツにジャージと云ったラフな格好に着替え、デスクの下に置いてある寝袋を引っ張り出し、会議室に向かい、そこで寝るのである。そうやってまるまる一週間、芝のビルで寝起きしたりしたこともあった。「アイツは仕事場に泊まっている」と云われたが、まぁそういうことだ。

芝のビルの近所に、午前だ午後だ、と云うコンビニがあって、昼飯や晩飯を買いに、よく出掛けた。一番近かったのと、ひとり、面白い店員が居たのだ。胸の名札には、平仮名で<らあまん>と書かれていたインド人で、ある時、弁当だの飲み物だのと一緒に、タイガースの特集が乗っていたスポーツ雑誌を買うと、「お客さん、タイガースファンですか? ボクもです。タイガース、いいですよねー。嫁が関西の人間で、その影響でボクもファンになったんです」と、人懐っこく話しかけてきた。

「ああー、そうなんや。オレ、出張で大阪から来とるんで」
「そうですかー。やっぱ、大阪では、タイガースファン多いですか?」
「そうやねぇ、今年は優勝争いしとるしねぇ(その年は星野監督の2年目で、18年振りのリーグ優勝をした年だった)」
「強いですねー。今年は優勝しますね、タイガース!」

いきなり外国人のコンビニ店員に、タイガースの話題を振られるとも思っていなかったので、こちらも無防備だった。話にノセられ、受け答えしてしまった。以来、その午前だの午後だの云うコンビニに寄る度に、<らあまん>は「昨日も勝ちましたね、タイガース!」と話しかけてきた。オレもなんとなく、気を許せて、軽くふた言み言、話すようになっていた。

やがて、オレの参画していたプロジェクトチームは、芝のビルから品川に移転することになった。出張の形式は相変わらずだったが、東京に向かう方法を、日曜の関空からの最終便に変え、定宿も川崎から、羽田の最寄の、大田区東糀谷の東横インに変えた。芝の第一京浜沿いの、その午前だの午後だの云うコンビニには、全く行かなくなった。だから、嫁が関西人で、タイガースファンだと云う<らあまん>とも、それっきりになった。

今、改めて、公式ページの店舗情報や、Googleアースで調べてみても、その位置に、午前だ午後だ云うコンビニは、無くなっているようだ。
<らあまん>、今はどこでどうして居るだろうか。今でもタイガースファンなのだろうか。今年のV逸を、悔しがって居ないだろうか。
そもそも、まだ日本に居るのだろうか。

ホレてしまったコンビニ店員と親密になる8つの方法
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1359774&media_id=114