犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

近鉄で 「阪急電車」 読み終へる

有川浩阪急電車」読了。

通勤の、行きの鶴橋〜奈良間と、帰りの奈良〜鶴橋間、近鉄電車の中で、「阪急電車」を一気に読み終えた。

いやー、何と云うのか。とても読み易く、とても柔らかで、とても暖かく、とても幸せな小説だった。

キャラクターも魅力的。とくに、「えっちゃん」とその友人達の会話は白眉。テンポもリズムもフレーズも、非の打ち所がない(ジャズの批評してるみたいだ)。

構成も巧い。前の章で、ふとカメラが捉えた人物が、次の章の主人公となり、視点が切り替わる。そのタイミングもいい。

しかし、ひと言で云うと、淡いのだ。全体的にコクがない。レモンフレーバーを入れたミネラルウォーターのような感じ。口当たりは良く、スーッと入って来るが、引っ掛かりが無い。後に残らないのだ。

感情移入出来る登場人物が、あぁ、こうなればいいのにな、と思う通りに収まっていく。その収まり具合が期待通りなのに、そこに至るまでのドラマが淡いので、カタルシスが少ないのだ。

阪急今津線の、各駅から乗り込み、各駅で降り、擦れ違っていく人々の間に、様々なドラマがあるのは分かる。それなら。

ここから、少しネタバレ。

女子大生「ミサ」と、その彼氏でDV男の「カツヤ」。二人のドラマは、「ミサ」の視点のみから描かれ、「カツヤ」は、「ミサ」の視点で語られるドラマの、いち登場人物に過ぎない。彼はまるで、テレビドラマの、ステロタイプの悪役のような存在としてしか描かれていない。
それだけでいいのか? 「カツヤ」も、阪急今津線を利用する登場人物であるなら、彼にも、彼の視点で語られるドラマがあってもいいのではないか?
それが、この「阪急電車」と云う小説の雰囲気を、壊してしまうかもしれないドラマだとしても。

巧みな語り口で、すいすい読めてしまう小説なのだが、どうにも読み応えに欠ける。少なくともオレには。

しかし、この淡さ、口当たりの良さが、この小説の人気の最大の理由なのかもしれない。四十を越えたヒネたオヤジには、少し物足りないのですが。

と云う訳で、次に読んでいるのは、堀川弘通「評伝 黒澤明」。黒澤映画の助監督を多く務めた筆者の、冷静過ぎる程の視点が、緊張感を生んで面白い。