来年は 兄になれたかも しれぬのに
18時になったので、そろそろクロージングに入ろうかと、作業の最後の確認をしていると、携帯に入電。お袋の携帯からだった。出ると、「そろそろ、仕事、終わりと違うの?」とお袋の声。
聞くと、妹が流産したと云う。病院に行って居り、那由他の面倒を見に出ているので、家が空っぽとのこと。慌てて片付け、帰路に就く。
18時半のバス、19時前の快速急行、19時半過ぎの環状線、20時の新快速。連絡がどんなにスムーズでも、JR高槻駅まで2時間弱、ドアツードアで、自宅まで2時間半掛かる。この間、気が気でない。
家に着くと、お袋も慌てて出たのだろう、戸締りはしてあったが、雨戸は開いており、灯火も点いていない。タイスケに晩御飯をやり、オレは着替えもせずに車に乗り、妹夫婦の家に向かう。
既に、妹も義弟も自宅に戻っており、落ち着いていた。胎児は3ヵ月だったと云う。妹には、良性ながら子宮筋腫があり、また高齢でもあるので(オレと3歳違いだ)、それが影響したのかもしれない。
7月に入ってから、保育園に通い出した那由他は、パパ、ママに、ばあちゃん、おっちゃんまでやって来たので、興奮して、いつもにも増してよく喋る。兄弟が出来るかもしれなかったのだ。痛ましい。
幸い、母体に大きな負担もなく、妹はけろりとしていた。とは云え、内心は寂しかろう。とまれ、妹が無事で良かった。
しかし、何と云ったらいいのだろう。