犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

トリビアも あるべき知恵も 落語から

午後4時ごろだったろうか、仕事をしていると、窓の外から雷がゴロゴロと聞こえる。夕立かなぁ、と思っていると、意外な程に近くに落ち、途端に、バケツをひっくり返したような雨。正に驟雨。夏にはまだ早いのだけれど。

あまりに激しい雨音で、思わず、mixiボイスに、「夕立や 法華駆け込む 阿弥陀堂」とつぶやいた。我ながら、シブ過ぎるかなー、と思っていたら、taichiくん、くらさん、佐々木さん、さえさんが反応してくれた。


くらさんから、「誰の作?」とコメントが付いたので、「古川柳だと思いますよー」と返した。実際、オレがこの句を聞いたのは、五代目古今亭志ん生師の人情噺「中村仲蔵」で、忠臣蔵五段目、定九郎の役をもらった仲蔵が、新工夫のアイデアを凝らすため、柳島の妙見さんに願を掛け、その満願のお参りの帰り、にわか雨に遭う。以下、志ん生師の口演。

「お鳥居を出ると云うてェと、いいお天気だった奴が急に暗くなって悪い雲が出てきた。
こいつァ降るなと思うから急ぎ足でいるてェと、ポツリ、ポツリ、とこう来て、ザーッと盆を返すように降ってきた。こうなったらばどっか雨止みに飛び込まなきゃならない。

 夕立や 法華駆け込む阿弥陀堂

しょうがない。と脇を見ると清水町のところに蕎麦屋があった。こいつにしょうがないから飛び込んだ」

ちょっとしたアイロニー、人間臭さも感じられて、市井の川柳子が詠んだ名句だと思っていたが、調べてみると、意外なビッグネーム、松尾芭蕉の弟子で、井原西鶴とも交流のあった、宝井其角の作だった。なるほどー、そうでしたか。

しかし、こう云う知識も、基本、オレは落語なんかから吸収しているのな。落語はオレのデータベースだ。
格言。「人生に必要なものは全て、落語と「究極超人あ〜る」に含まれている」

アレ?