犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

ピザトーストと アイスオーレを 思ひ出す

お袋の実家は、京都の堀川五条の辺りで、仕出料理屋を営んでいた。今は、二代目を継いだ叔父貴が身体を壊し、店はたたんでいる。

昔から、よく遊びに行った。親父の実家の神戸より、お袋の実家の京都に頻繁に行ったのは、高槻から近い、と云うこともあったが、お袋が、親父方の親戚と、折り合いが悪かったことも、少なからず影響していたと思う。

映画館にもよく行った。新京極通から少し入り込んだところにあった美松劇場、三条通から少し下ったところにあった京都ピカデリー、河原町へ抜ける道にあった京極東宝河原町沿いにあった京都スカラ座、三条河原町を鴨川へ向かう途中にあった東宝公楽、三条河原町を南に少し下りて、脇道を入ったところにあった京都ロキシー、等々。そうそう、八千代座なんて小屋もありましたな。成人映画の小屋でしたが。

今、挙げた映画館は、全て無くなっている(はずである。八千代座はどうかな。成人映画館はシブトいからなぁ)。すっかりシネコンに取って代わられ、ある小屋などは、跡地にビジネスホテルが建っていたりする。

子供の頃から、お袋や叔母、叔父に連れられて、四条通の大丸にもよく行った。最上階の大食堂で食事をするのが、何よりもの楽しみだった。

四条河原町の阪急百貨店にもよく行った。河原町を挟んで向かいにある、高島屋よりよく行ったと思う。6階にあった平野屋と云う喫茶店(だったと思うのだが)で、ピザトーストとアイスオーレを食べるのが楽しみだった。

街が変わっていく、と云うことは、人が行き交い、息遣いがあり、生きていると云うことなのだろう。
それでも、京都と云う街には、変わってほしくない、と云った気持ちを持ってしまうのは、勝手な思いなのですかね。

何にせよ、四条河原町阪急が無くなるのは、やはり寂しい。平野屋のピザトースト、旨かったなぁ。

H2Oリテイル、今年秋めどに四条河原町阪急を閉鎖
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1092413&media_id=52