犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

音楽が好きだ 今はそれでいい

中学のとき、1本目のフォークギターを手に入れて、とにかく嬉しくて、毎日練習していた。
以前、日記にも書いたが、最初に買った教本には、知っている曲がほとんどなかった。エレック時代の吉田拓郎の「ワシらのフォーク村」「春だったね」「夏休み」「旅の宿」と云った曲ばかりで、唯一知っていたのが「知床旅情」だった。と云う訳で、オレの音楽の原点は森繁久彌なのである。

勿論、オリジナルのフォークソングも何曲も作った。ノートにいくつも詞を書き、見よう見まねで譜面も書いた。カセットテープに録音して、ライナーノーツもどきのものも書いて、アルバムを作る、と云うような遊びもしていた。こっ恥ずかしい話だが、中学生と云うものは、そういうものだ((C)カート・ヴォネガット)。

高校の時は、さだまさしと、彼の原点であるサイモンとガーファンクルの曲を、専ら部屋弾きでコピーしていた。誰かに聴かせることなど思いも寄らず、ただ自分の為に弾いていた。

大学に入ってからは、ギターは趣味以下になった。演劇部に入って芝居を書いたり演出したり。社会人になってからもアマチュア劇団に入ったり自分で劇団を立ち上げたり。19歳から28歳までは芝居ものだった。

東京転勤があって芝居から離れ、30代は貧乏暇なし、ただ働き、40歳の声を聞いてから、再び音楽の側に戻ってきた。20年振りに手にしたギターでジャズに触れ、気がつけばジャムセッション漬けの日々。ジャズを通じて知り合った方々にも色々優しくして頂き、今は毎日を楽しく送れている。

あるマイミクさんの日記に、楽しいことを最優先して知り合いの練習につきあってきたが、そのことで叱責を受けた、と云った内容が書かれていた。
どうだろう。楽しいことを優先するだけでも、オレはいいのではないか、と思っている。要は本人の取り組み方で、その人が楽しさを優先しているのなら、他人の叱責は、大きなお世話に過ぎないんじゃないか。楽しいだけでは物足りなくなったときに、次のステップが始まるのではないのか。

努力は強要されるものじゃない。自分の中から出てくるものだ。欲求があるから、人は努力するんじゃないか。と、思うんですけどね。

オレ? オレは、少し欲求が出てきたから、少し努力しようとしているところ。音楽が好きだ、と云う気持ちはフツーに持っているので、先ずはそこを大事にしていきたい。なるたけメーワクかけないようにするので、ながーい目で見て下さい、ひとつ。