「M」の死が 問ひかけるもの 遺すもの
幼女殺人 宮崎勤に死刑を執行
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=520276&media_id=2
連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤死刑囚の刑が執行された。
喉の奥がざらつくような感覚がある。あの「M」が死んだのか。
「M」は、オレ達の社会にコミット出来ないまま、コミットそのものを放棄し、異世界の住人になってしまった存在ではないのだろうか。
「ネズミ人間」「今田勇子」「そのうち無罪になる」
「M」の言葉からは、この社会に生きているものの手触りが感じられない。
それは、暗闇の中からふと聞こえてくる、向こう側の呟きのようだ。
オレ達に向けられたと云うより、「M」の中で循環しているだけの言葉のようだ。
「M」は、松本智津夫や宅間守のように、オレ達の社会への敵意を剥き出しにしていたのではないのではないか。
この社会に居心地悪く漂う内に、ふと出会ってしまったのではないか。
あの事件は、その結果に過ぎないのではないのか。
遺族の方には申し訳ないが、オレにはそう思えて仕方がない。
最後の最後まで、反省や謝罪の意を表さなかった「M」は、オレ達の社会に影を焼き付けていなかったように思う。「M」は自分を、どこか自分だけの居場所に置いて、オレ達の社会を見ていただけなのかもしれない。
そんな「M」が、オレ達の社会の法で裁かれ、オレ達の社会から去っていった。
新たな「M」を生み出さない為に、オレ達は何を考え、どう行動しなければならないのだろう。