犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

あの人の 言葉が今も 突き刺さる

学生時代から20代の後半くらいまで、ずっと芝居をやっていた。

自分で劇団を旗揚げする前に、某アマチュア劇団に役者として参加していたことがある。座長のKは大学の同級生だった。
Kは、演劇部で芝居をしているオレなどより、遥かにその関係に顔が広く、知り合いの劇団の公演の度に仕込みやばらしの手伝いに同行したが、これが後に自分で劇団を旗揚げするときに実に大きな財産となった。それはさておき。

当時は小劇場第三世代(夢の遊眠社第三舞台スーパーエキセントリックシアター等々)のブーム後で、関西にもアマチュア劇団が佃煮にするほど湧いて出ていた頃だ。週末毎に様々な小屋で芝居が上演されており、ひとつ芝居を観に行くと、山ほどそういった劇団のチラシを持って帰らせられる、と云った風だった。斯く云う我々も、知り合いの劇団の公演の楽屋に、手伝いと称してもぐりこんだり、一升瓶提げて陣中見舞いしたりしながら、粗末なパンフレットにチラシを挟み込ませてもらって細やかな宣伝をさせてもらうのが常だった。

ある時、座長のKに頼まれて、ある劇団の公演の楽屋にお邪魔させてもらってチラシの挟み込みをし、芝居も観せて頂いたことがあった。終演後、客出しのロビーで、その劇団のベテラン役者、Nさんと挨拶を交わした。「劇団○○のマツヨシです」「○○と云うと、ああ、Kさんの劇団ですね。どうもありがとうございます」舞台の上ではコミカルな芝居を見せていたNさんは、人当たりの柔らかい方だった。客出し口なので長居も出来ず、簡単に感想も述べたりしてその場を失礼した。

後日、そのNさんから自宅に電話が掛かってきた。先日のお礼をして下さったあと、宜しければ改めて芝居の感想を聞かせて下さい、と仰る。電話だったが、オレは比較的長めに感想を述べた。「ありがとうございます。イエ、マツヨシさんみたいな若い方の感想もじっくり聞きたかったんですよ」 なんて貪欲な人だ。しかし柔らかい口調で丁寧に対応されるNさんに促されるまま、オレは連々と感想を述べていた。

その後、Nさんの劇団の芝居を、また観に行く機会が出来た。尼崎のピッコロシアターと云うホールで、横内謙介作「ヨークシャーたちの空飛ぶ会議」と云う芝居を上演されると云うことで、例によってチラシの挟み込みをさせて頂きに伺ったのだ。

横内謙介とは、当時東京で「善人会議(現・扉座)」と云う劇団を主宰していた劇作家・演出家で、現在はジャニーズタレントのミュージカルや、中村勘三郎主演の商業演劇の脚本なんかも手がけている人だ。「ヨークシャーたちの空飛ぶ会議」は、雑誌「新劇」(現在は廃刊)に掲載された作品であった(その号は現在も、オレの手元に残っている)。
清水邦夫作のいわゆる新劇を上演することが多かったNさんの劇団が、小劇場の劇作家の作品を取り上げる、と云うことで、オレはその点にも興味を持って観ていた。

あるグループの日常がまず描かれる。そこに属する連中は一様に太っており、日がな一日、ものを喰い、ごろりと横になり、だらだらと過ごしている。
このグループの一員であった青年が、ある日突然、グループを抜けると云い出す。メンバーは慰留するが、青年の意志は固い。彼は、抜ける理由を明かさぬまま去っていく。
しばらくしたある日。グループを抜けた青年は、なんとすっきりと痩せて、美しい少女と共にテニスなどに興じていた。彼は少女に恋をして、だらしなく太った自分を恥じ、グループを抜けて痩せることを決心し、そして成功したのである。
楽しげな二人を、しかしこそこそと陰から覗く様な視線がある。例のグループのデブたちである。かつての仲間であった青年が自分たちを裏切り、グループを抜け、痩せて少女と楽しげに過ごしていることに、デブたちは嫉妬する。
青年はデブたちの視線に気付き、慌てて、連中がかつて自分の仲間であったことを、少女に隠そうとする。デブたちは青年に親しげに近付き、結局、青年の思い虚しく出自は少女に知れてしまった。
しかし少女は全てを優しく受け入れた。自分が今愛している青年の、かつての仲間たちにも等しく心を開き、やはり痩せたいと切望するデブたちに手を差し伸べるのである。そして・・・。

この様な内容を、この時の上演では逆の設定で展開させていた。すなわち、太った少女がある青年に恋をして、と云う風に変えたのである。これが見事に功を奏していた。少なくともオレにはそう感じられた。「太った青年が恋をして痩せる」と云うファクターを「太った少女が恋をして痩せる」と変えただけで、キャラクターの切実な思いが、より鮮明に浮き上がってきたのである。
雑誌掲載時に台本を読んでいたオレは、この改変は演出家の意図ではないか、と思った。オリジナルより遥かに胸を打つ効果を、横内謙介自身が見たらどう感じるだろうか? とすら思ったのであった。

後日、Nさんからやはり電話があった。感想を求められ、オレは手放しで絶賛した。
「あの、キャラクターの設定、逆転させてはったでしょ? あれは演出家さんの意図だったんですか?」
「ああー、イエイエ、あれは単純に、ウチの劇団、女優の方が人数が多いんですよ。あれは構成上、止むを得ずの措置なんです」
「あ、そうやったんですかぁ(チョット拍子抜け)」

とは云うものの、面白かったと云う事実は動かない。オレはやはり、素晴らしかったですとかなんとか、とにかく褒め続けていた。

「マツヨシさんて、自分で脚本書かはりますか?」
「そうですねー。学生ン時は書いてましたし、今の劇団でも、基本、Kが書きますしね。既成の脚本って、あんま使わないですねー。」
「ウチの劇団て、清水邦夫とか別役実とか、そう云う作家さんの脚本を使うことが殆どなんですけど、今回は横内さんって、若い作家さんでしょ? こう云うのってあんまりないことなんで、新鮮やったんですよ。
新鮮やったんやけどね、ああー、やっぱり若い作家さんとなると、書ききれてないと云うか、そう云うのが気になりましたねェ。」
「エ?」
「人間を書く、と云う部分で物足りないと云うかね。なんかそんな感じやったです、演じててね。」

オレは、受話器から聴こえるNさんの声をぼんやりと感じながら、オレはどうなんだ? と考えていた。

仮に、オレの書いた脚本でNさん達に演じてもらうとして、オレの言葉はNさん達に届くのか?
Nさんが物足りないと感じる脚本で演じられた芝居が、Nさん達よりも向こうに居る観客に、いったいどれほど届くのか?
Nさんはオレより10歳ほど年上の方で、家庭も持っておられる。演じる側に居るNさんすら納得させられない言葉で、観客を納得させることなんて出来るのか?

当時属していた劇団の座長、Kは、「ウチの劇団を観に来る客を育てる」とよく云っていた。Kの脚本は難解ではなかったが、スタイリッシュさや自分の趣味に拘るあまり、観客を選ぶ傾向があった。Kはそれを由としていた。解らない奴に伝えるつもりはない。解るようになってからおいで。あからさまに云えば、Kはそう云うスタンスで芝居を創っていた。

オレが学生時代に書いていた芝居も、その時点での熱を舞台上に生のまま乗せることを第一に考えていたから、同世代の観客にはオレの思いがびんびん伝わっていた。映研の部長だった友人、Oなどは、観終わった途端に号泣し、客席から立てなくなったことがあったのだ。

しかし、Nさんの言葉を聞いて考えてみた。
Nさんは、若いと云うことを非難しているのではなかった。若いことを理由として、伝えることを放棄することがあってはならない、と考えて居られたのだ。
様々な受け手を想像して、その時点での自分のベストを尽くして書ききること。書ききれないことに対して、投げやりになることなく誠実であること。

今後、どんな形であれ、何かを表現していくとなったときに、25歳のオレ、30歳のオレ、35歳のオレ、40歳のオレは、それぞれ、25年分の、30年分の、35年分の、40年分の言葉でもって世界を切り取ろうとするだろう。
その時、オレより若い人に、オレより年上の人に、オレの言葉はどんな風に届くだろう。様々な不特定多数の人々に向けて何かを表現していく、そのことにどこまで責任を果たせる? どこまで誠実になれる?

その数年後、自分の劇団を旗揚げした時にオレが考えたのは、Nさんから貰った警句だった。
人当たり柔らかいNさんに、そんなつもりはなかったかもしれないが、オレを撃ったその言葉を基調音としてオレは芝居を書き、演出したのだった。

それはちゃんと、観客に伝わったのか?
そんなことは、今となってはもう分からない。
いつものように、アンケートは賛否両論だった。そして、賛論をエネルギーに否論をバネに、これからも芝居を創り続けていくつもりだった。
直に、オレは東京転勤になり、八幡市に住んでいた主演俳優は加西市で高校の教師になり、主演女優は結婚し、オレたちの劇団は、一回こっきりの公演を行ったのみで姿を消したのだが。

あれから10年以上が経ち、オレは芝居からは足を洗ったが、改めてジャズギターなどと云うものに手を染めている。

閑話。ジャズギターに「手を染めて」いるンだが、仮に辞める時にはやはり「足を洗う」と云うんだろーなぁ。染まっているのは手なのにね。おかしいね。

閑話休題。今は全く考えられないが、仮に今後、ライブなどと云うものをやるとなったときには、きっとオレの耳には、やはりNさんの警句が聴こえてくるだろう。
聴いて下さる全ての人に対して、如何に誠実であるか? Nさんの警句は、常にオレに、そのことを問いかけてくるだろう。

やりたいことだけやって満足していないか。
やりたいことをどうやって伝えるのか。
伝わらないとしたらどうやって楽しませるか。

ポップカルチャーの端っこを齧りつつあるものの悲壮な覚悟を書いて、今夜の日記終了。