犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

リメイクは 良くも悪くも 現代版

マツジュン、長澤主演、「隠し砦の三悪人」を観てきた。

オリジナル、と云うのは却って失礼にあたる、黒澤版「隠し砦の三悪人」は、「スターウォーズ」の元ネタとして有名だし、勿論、そんなことは関係なく、映画好きの一般教養として観ているわけで、当然、今回のリメイクも、出演者の好悪は措いて、観ておかなければならない。
これは、映画好きとしての責任、極端に云えば仕事である。

さて、本編だが、長澤まさみがこれほどやるとは思わなかった。まさにスターである。年に一本、必ず東宝で主演映画を撮り続ける長澤は、現代を代表する映画スターだと思う。これは認めねばなるまい。
しかし、東宝のスターとしての限界もあった。男を装っていたがために男色家の関所奉行(高嶋政宏)にみそめられてしまい、自分が女であるのを明かすところなど、嘗ての東映や日活(ロマンポルノではない、アクション全盛の頃の日活である)なら、ぐっと胸を掴ませるところだ。そう云う男勝りな性格、と云う描写も済ませている。
ところが、高嶋と共に天幕のなかに入り、女であることを明かすと云う展開。このあたりが東宝の、そしてスター長澤の今のところの限界なのだろうなぁ。テレビドラマではDVに苦しむ役までやってるのに。ちょっと不満。

マツジュンは、汚い着物を着て、顔も黒く汚して、なんとか山の民ぶりを見せようとしていたが、横にもっと思い切った宮川大輔クンが居るから、なかなかそうは見えない、髭も付け髭丸出しだし。ここらがジャニーズの限界でしょうかね。予告編で観たが、「花より男子」の映画版が直に公開されるから、綺麗な姿はそっちで見せて、こっちでは汚らしさに徹すればよかったのに。
オリジナルの三船敏郎に迫るかと云うような熱演を見せた阿部寛、最下層の民の欲望とバイタリティを見事に表現した宮川大輔に比べ、マツジュンの折り目正しいこと。ここはこの映画のマイナスだと思う。

ノンストップアクションの中に、男女の淡いロマンスも見せる展開は、オリジナル脚本を脚色した中島かずきらしい仕事だと思う。劇団新感線の座付作家としてのアイデンティティは発揮出来ていた。正直、てんこ盛りの今作に比べると、オリジナルは実に行儀のいい、整った骨董品に見える。どちらが好きか、と云われれば、勿論オリジナルと答えるが、今作は今作としての作戦を全うしたようには思う。

今作としての作戦とは、ハリウッド映画、香港映画、韓国映画に慣れ、レンタルDVDに慣れた観客のスピード感へのコミットだ。
この映画は、黒澤の「隠し砦〜」のように後世には残らないし、インスパイアされて「スターウォーズ」が生み出されると云ったような影響も及ぼさない。それは断言させてもらう。
しかし、2008年に公開された/される映画として、買い物がてらにシネコンに寄った観客をある程度満足させ、しっかりとヒットはし、商売として成立はすると思う。
ジャニーズと長澤を使い、クロサワブランドまで使うのだから、ヒットはさせねばならない。少なくとも、その部分は達成できるんじゃないだろうか。

これは罵倒しているのではない。それが現代の映画だ。現代のライフスタイルに併せて、映画自体もその形を変えてきた結果だ。

そして、それに満足しない製作者、観客は必ず居て、彼らのこだわりが、また新しい、次の世代に残る作品を生み出していく。映画に限らない。全ての表現が、大量の消耗品の中に、ほんの一握りの宝石を持っているのだから。

シサシブリに映画に行くと、またまた刺激される。「神様のパズル」「クライマーズ・ハイ」「ザ・マッジクアワー」辺りが近日公開だが、観ときたいなぁ。セッションと被らなきゃいいなぁ。