犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

マルクスと 云ふが 共産主義ぢやない

映画の話でもしよう。

学生時代、一冊の本に出会った。小林信彦「世界の喜劇人」 サイレント喜劇からウッディ・アレン、ブルースブラザースまでフォローした、世界中のコメディ映画を、著者、小林信彦氏の体験を元に紹介していく本だった。チャップリンキートンと云ったメジャー処は勿論触れられていたが、オレが一番気になったのは、マルクス兄弟だった。

1929年に「ココナッツ」でスクリーンデビュウを飾ったヴォードビルチーム、マルクス兄弟は、長く、忘れられたコメディアンだったが、1960年代に再評価が始まり、現在では世界中にファンを持つ伝説の存在になっている。
オレが「世界の喜劇人」で、初めて彼らを知ったのは1984年だった。当時はレンタルビデオもさほど普及しておらず、また彼らの作品もほとんどソフト化されていなかった。日本で目にする機会はなかなか無かったのだが、よみうりテレビの「CINEMA大好き」で、代表作「我輩はカモである」がノーカット字幕で放映され、オレはマルクス作品に初めて触れた。

それはもう、衝撃そのものだった。白黒スタンダードサイズと云う画面は、現代の大スクリーンに慣れた目には地味にも映るものだが、その中で展開していたのは、独裁者と国際紛争を徹底的に茶化した、思想も何も無い、ふざけ散らした戦争ヴォードビルだった。悪いがチャップリンの「独裁者」など、「我輩はカモである」の前では分別顔をした説教臭い映画に過ぎない。「独裁者」がチャップリンの様々な芸(インチキ言語でのアジテーションや地球儀の踊り等々)を見せる名作であることは間違いないが、「我輩はカモである」は徹底的にナンセンスに徹することで、黒い意味を帯びながら、只々笑いを産みだしていく稀代の傑作であった。

この翌年、1985年には、今は無き梅田の東映会館で、「マルクスブラザーズフェスティバル」が上映され、「オペラは踊る」「マルクス二挺拳銃」と云った作品を観ることが出来た。それから、ビデオソフト化も少しづつ進み、現在では、前述「我輩はカモである」を含むパラマウント社の5作品はDVDボックスになっているし、MGM社時代以降の作品は、廉価版として出ている。手元にマルクスコメディを、気軽に置くことが出来るようになったのであった。

マルクスムービーの、何が面白いのかを伝えるのは、実に難しい。百聞は一見に如かず。観てもらうのが一番なのだが、例えば「我輩はカモである」には以下のような会話がある。

チコ「Not unless I was in one those big iron things. What you call 'em?」(鉄で出来たあの乗り物に乗りたい。何て言うんだ?)
グルーチョ「Tanks.」(戦車だ)
チコ「You're welcome.」(カンシャする)

カッコの中は、手持ちのDVDの日本語字幕だ。一応、ネタ振り台詞の内容をフォローするために書いたが、意味は全く無い。
「Tanks.」「You're welcome.」 このやりとりだけで充分である。こんな言葉遊びが、次から次へと叩き込まれてくるのである。

グルーチョ大統領率いるフリドニア国軍は、隣国シルバニアと交戦状態になる。砦の一軒家の窓から、グルーチョは「ムハハハハ!」とギャングのような汚い口調で罵言を吐きながら、外の兵士に向かってマシンガンをぶっ放す。途端に大統領秘書のゼッポが、グルーチョに告げる。

ゼッポ「大統領! 味方を撃たないで下さい!」
グルーチョ「何?」
ゼッポ「味方を撃たないで下さい!」
グルーチョ「・・・。5ドルやるから黙っておいてくれ。(5ドルを渡し)落とすといけないから預かっておこう(5ドルを受け取る)」

味方を撃つ、なんてのは初歩のギャグだが、「5ドルやるから黙っとけ」なんてのは面白すぎるし、しかも「預かっといてやる」と云って5ドル取り返すのだ。こんな展開、思いつける訳が無い。ナンセンスの極北である。

1933年の公開時、そのあまりにブッ飛んだ内容が故に、この作品は理解されず、興行結果は惨憺たるものだったと云う。それから30年を経て、アメリカがベトナム戦争の泥沼に足を突っ込み始めた頃、「我輩はカモである」の評価は大きく変わった。マルクス兄弟は、チャップリンキートン、ロイドに比肩する、伝説のコメディアンとなったのである。

オレが彼らの存在を知ってから20年が経っている。その頃に比べれば、その作品に触れることは容易になっている。
是非ともオススメしたいコメディアンであり、映画なのであった。