犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

五年前の 残滓を目にし 引き締まる

仕事始めであった。
長堀橋から堺筋を数ブロック北に上がったところにある、某商社のシステム開発。丁度、去年の今頃は、道を挟んだ向かいのビルの事務所で仕事をしていた。9ヶ月ぶりに帰ってきたことになる。

実は、今回担当する仕事は、今から5年前、H社が幹事となってシステム開発を担当していた時に、末端のソフト開発者として参画していたプロジェクトなのだ。オレは、数本のプログラムを製造して担当を離れたので、その後の経緯は寡聞にして知らなかったのだが、聞くところによると、結局、H社はプロジェクトを完遂できないまま撤退し、変わってF社がプロジェクトを一から建て直しに入った。数年を経てようやく基本設計を終え、詳細設計に入る段階で、全く別のルートから、オレに話が舞い込み、再びこのプロジェクトに戻ることになったのである。

当時、幹事をしていたH社の人間は全く居ないし、オレは末端も末端、孫請けの孫請けと云うような立場の、いちプログラマでの参画だったから、オレがこの仕事に関わっていたと云うことを知る人間は、現在の現場には一人もいない。オレも改めて、それを明かすつもりもなく、粛々と、新たなプロジェクトと云うつもりで仕事に入っている。
ただ、既に上がっている基本設計書に目を通しておいてくれと云われ、電子ファイルを色々と見ていると、かつて製造した機能のユーザインターフェースを見つけてしまった。
H社仕切りのプロジェクトが、F社仕切りとなったことで、一旦白紙に戻されたのだが、基本、UIはH社仕切り時代のものが流用されているのである。見覚えのある画面や、開発プログラムIDがごろごろ出てきて、一挙に5年前の記憶が蘇ってくる。

うわぁ、この画面、5年前に、オレ、プログラミングしたなぁ。あの時は、徹夜に次ぐ徹夜で、明け方まで仕事をして、始発で帰宅し、家に着いたらすぐ風呂に入って、着替えて、そのまま出勤して、また深夜まで作業とか、無茶苦茶だった。満足に飯も食えなくて、1ヶ月で体重が10キロも減った。ホントに死ぬかもしれん、と思ったもんなぁ。

おそらく、夏から秋にかけてが、一番タイトな作業が続きそうな予感。肉体的にも、精神的にも、難しい仕事になりそうだ。
フリーランスの覚悟を見せないと。頑張らねばなぁ。