犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

改めて 母は強しと 思ひ知る

何だかんだ云って、日付が変われば、親父が死んでから、一週間が経ったことになる。
あっと云う間だったなぁ。

この一週間、日記を書くのを辞めなかった。
木曜、金曜などは、考える間もなく、次から次へとこなさねばならぬことが山のようにあったが、ふと落ち着いた時間に、日記を書くようにした。
書くことで冷静になれたし、みなさんのコメントに励まされ、元気付けられもした。改めて、ありがとうございます。

日記を辞めなかった理由は、そのときどきに、何を思っていたかとか、どんな行動をしたのか、と云うことを記録に残すためだった。
気持ちの整理をする、と云うことも勿論あるが、最大の理由は記録だった。

親父が死んだ木曜の晩、市役所に死亡届を出し、市営葬儀の申し込みをして帰宅すると、お袋が一冊のノートを見せた。7年ほど前、親父方のばあさんが死んだときの諸々が記録してあるノートで、葬儀に幾らかかったとか、お布施は幾ら包んだとかいったことが、細々と書かれていた。

さすがお袋。親父を亡くして、一番ツラいはずなのに、感情を越えた大事なことをしっかり抑えている。
このノートのおかげで、誰に聞いていいのか、全く見当がつかなかったことの道筋が見えた。

今年の夏、親父が家で転倒し、歩行器なしでは歩くこともままならなくなって、お袋は一度、覚悟を決めたらしい。
公共料金の引き落としを、親父の口座からオレの口座に変え、親父の保険や預金の整理を始めていた。
死んでしまってからでは、口座を止められて手が出せなくなる。それに備えての準備であった。

妹に子供が出来たことがわかり、親父に気力が戻り、どうやら年が越せそうだ、と思っていた矢先の出来事だったのだが、今から考えれば、お袋の冷静な判断は、正解だったのである。

やっぱり、女親ってのはツヨい。かないませんわ。
こりゃ、オレより長生きするかもなぁ。