犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

皆さんは何故、その楽器を手にしているのですか?

日曜に、ジャムセッションに参加してきた。担当楽器はギター。今、所持している中では、一番のお気に入りの、エピフォン・カジノを持参していった。
ビートルズの武道館公演で、ジョン・レノンが手にしていたもののコピーモデル。昔から憧れていたギターで、去年、手に入れたものだ。

ジャムセッションに参加するようになって、他の参加者の皆さんの楽器を、目にする機会が増えている。
サックス、トランペット、フルート、エレキベースウッドベース。スタジオ備え付けのドラムやピアノを、自分の体の一部のように演奏される方もおられる。
最近、顔を出すようになったピアノバー「Misty」の常連さんには、アコーディオンを持ち込まれる方まで居る。それぞれの、楽器に対する愛情は、相当なものだ。

そんな中、オレはギターである。最近、ブルースギター、ジャズギターを習いだして、改めて、ギターを愛おしく思う気持ちが深まってきた。

やはり、ギターは、オレにとって特別な楽器だ。なんと云っても、自分の意思で手にしようと思った、最初の楽器なのだ。

中学の時、深夜放送を聴いていると、ある番組の女性アシスタントが、「趣味は弾き語りなんですよ」と云って、自作の歌を披露したことがあった。
それがきっかけだった。「へぇー、ギターって、そんなことが出来るんだ」 自分で歌を作り、自分で演奏する。そういうことに、なにか、漠然とした憧れを抱いた。
親に、「フォークギターが欲しい」と頼むと、すぐ次の週末に、駅前の楽器店に、ギターを買いに連れて行ってくれた。
1万円のヤマハのフォークギター。詳しい型番はもう分からないが、FGシリーズだったと思う。それと、店員に薦められるまま、ろくに内容も見ずに買った初心者用の教本。

帰宅して、早速、本を開いて練習しようとすると、掲載されているのは知らない曲ばかり。唖然とした。
吉田拓郎「ワシらのフォーク村」「春だったね」「夏休み」 井上陽水水無月の夜」「招待状のないショー」等々。
時は1979年。アリスが大スターとなり、さだまだしが「関白宣言」を出し、長渕剛が台頭してきており、一番の人気は松山千春だった頃だ。
その時代に、教本の選曲は、70年代前半のフォーク。拓郎なんて、エレックの頃の曲である。イタイケナ中学生は聴いたことすらない。
途方に暮れていると、唯一、知っている曲があった。森繁久彌作詞作曲「知床旅情」 イヤ、マジな話なんですよ、コレ。コードはEメジャーだった。

ところが、どういう訳か、これが幸いした。大抵の教本は、日本の音楽教育を基本にしているから、Cメジャー=ハ長調の曲をサンプルに選ぶ。すると、基本になるコードが、?−?−?7と云うことで、C−F−G7になる。「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」である。
ここに罠がある。C、G7のコードは、まあ押さえられるとしても、Fで躓くのである。人差し指で6本の弦全てを押さえる、バレーコードという奴である。
Fは、1フレットを人差し指で押さえるのだが、これがなかなかうまくいかない。きれいに音が出ないし、フォークギターはスチール弦なので、すぐに指が痛くなる。多くの人が、Fで躓いて、ギターを諦める所以である。

ところが、「知床旅情」はEメジャーだった。?−?−?7が、E−A−B7だった。ここでも、実は、B7がバレーコードなのだが、人差し指で押さえるのは2フレットだった。Fと比べると、フレットの位置が高い分、押さえやすかったのだ。
おかげで、オレは、バレーコードの罠に、比較的躓くことなく、ギターを続けることができた。何が幸いするか分からない、という典型である。

というわけで、オレは、ギターの演奏にハマりだす。中学の同級生と3人で、週末になると、それぞれの家にギターを持参して、アリスの曲をコピーしたり、自作の曲を発表したりしていた。毎回、練習の締めの曲は「チャンピオン」! 3人でジャカジャカかき鳴らしていた。

中学を卒業し、それぞれ違う高校に進学したことで、グループは自然解散となったが、ギターは専ら、部屋弾きで続けていた。その頃、一生懸命コピーしていたのは、さだまさしと、セントラルパークでの一夜限りの復活コンサートのライブ盤が発売された、サイモン&ガーファンクルだった。
さだまさしポール・サイモンも、アコギのテクニックは抜群で、当時、営業が始まったばかりのレンタルレコードに行ってはアルバムを借りて繰り返し聴いたり、スコアを買ってきてコピーした。この頃覚えた曲は、今でもかなり弾ける(と、思う)。

大学に入ると、ギターをさわる機会が減った。真面目に学問に勤しんだから、と云うのは大嘘で、演劇部に籍を置き、一日中部室でたむろしては、台本を書くことに熱中していたからだ。芝居の熱は、大学を辞めてからもしばらく続き、小さな劇団に所属して舞台に立ったり、自分で劇団を立ち上げたりもした。たまに、部屋弾きでギターを爪弾くことはあっても、中学や高校の頃の熱中振りとは、程遠かった。

そして十数年が経ち、今、またギターを手にしている。子供の頃のような、アコギではなく、フルアコを手にして、ブルースやジャズを楽しんでいる。

ギターと云うのは、オレにとって、万能楽器なのだ。
コードを弾いてバックにも廻れるし、単音でフロントにも出られる。オブリガードで、他の楽器のプレイに彩りを添えられるし、様々に掛け合いも出来る。
しかも、どこにでも携行出来る。これが重要なのだ。先日、マイミク、の具&かばりんの娘さん、みーたんの誕生日に訪問した際に、たまたま持ち合わせたZO-3でハッピーバースデイを演奏したら、まぁ、みーたんの喜んだこと。ギタリスト(とまではいかないが)冥利に尽きる思いであった。

やればやるほど奥が深く、楽しくなってくる、ギターと云う楽器の魔力。ギターを選んだのは、ほんの偶然だったが、ギターを選び続けているのには、理由があるのである。

最近、タイスケをきっかけにして、お袋と友達になった近所の中学生、サヨコちゃんは、バイオリンを習っているらしい。どんな気持ちで、演奏をしているのだろう。
オレが改めて云うまでもなく、音楽に触れるというのは、とても豊かで幸せなことだ。サヨコちゃんとバイオリンの出会いが、幸せなものであって、末永く続いていくことを切に願う。

これを読んで下さった皆さん。
皆さんが今手にしている楽器との出会いは、幸せなものでしたか?