犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

「気狂いピエロ」

気狂いピエロ」1965年
監督:ジャン・リュック・ゴダール
出演:ジャン・ポール・ベルモント アンナ・カリーナ


大学の頃は、芝居をやっていたりしたこともあって、ご他聞に漏れず、トンガッていた。
映画も音楽も小説も、スノッブにマイナーな物を追っかけていた。そういうことがカッコいい、と感じる世代であり、環境だったのだ。


入学してすぐに、ある男と友人になった。「コウジ」と云う名だった。背は低かったが、痩せていて、なかなかいい男で、麻の白いジャケットに白のコットンパンツといういでたち。遊び人で、酒は強いし麻雀も強い。当時流行っていたビリヤードもそこそこの腕前で、何かと云うと「賭けよう」と持ちかけてくる。言外に二股をかけているようなことを匂わせたりもする。もしかしたら、三股までかけてるんじゃないかと、オレたちは面白半分に囃し立て、「三股みーくん」と呼んでいた。

だって、学園祭の時に、ちょっといいな、と思ってる女の子を招待するつもりだ、と云うと、
「ちょっといいな、と思ってるだけだな。まだ付き合ってるわけじゃないんだな。その娘がオレのことを気に入ったりしても、文句はないな」
と言い放つような奴なんだもん。

とは云うものの、決して嫌味ったらしいところはなく、男同士、さっぱりとした付き合いが出来る奴だった。
直に、一浪していることが判った。ひとつ年上である。気さくさの裏にある落ち着きは、つまりはそういうことだったのだろうか。

当時オレは、演劇部の部長で、自分で脚本を書き演出をしていた。元来無精で、なかなか自分からは動き出さないが、いったん動いたらノリで突っ走るオレを、「コウジ」はけっこう助けてくれた。
舞台に立ったりはしない。音響や証明のオペレーションもしない。しかし、雑用をこなしてくれて、パンフレットには推薦文まで書いてくれた。
オレが部活を引退するとき、「こいつは人格は最低の奴です。しかし才能があります。このまま進んでいけば、もの凄いことになるかもしれません」と、機関誌にはなむけの言葉をくれた。


その「コウジ」に、こんな風に諭されたことがあった。

「お前には、才能があると思う。でも、カリスマ性はないぞ」

ノリで突っ走り、いちじ、後輩と衝突して、部の運営が立ち行かなくなってきたときに、こう云われたときは応えた。
悪意ではなく、「お前が悪い。折れるところは折れろ」と云ってくれた訳だ。今になってみて、身に沁みる。


「コウジ」は、今はなき南街会館の映画館でバイトしていた。よくタダ券をくれたので、ちょいちょい観に行ったものである。
当時、スノッブなものに、無理やり反応していたオレは、扇町ミュージアムスクエアに、関西初登場の第三エロチカ「フリークス」や、堂山のシネマ・ヴェリテ(今はどうやらホストクラブになっている)に、塚本晋也「鉄男」やドゥシャン・マカヴェイエフ「スウィート・ムービー」、パーシー・アドロン「バグダッド・カフェ」を観に行ったり、バナナホール東京少年のライブを聴きに行ったりしていた。
どれもマイナーだなぁ。マカヴェイエフなんて、マイナーの極みだ。知らないでしょ、皆さん。

そんな折、南街会館で、ゴダールの「気狂いピエロ」のリバイバル上映があった。オレはいつものように、「コウジ」にタダ券を貰って、なんばまで観に出かけた。

 見つけたぞ
 何を?
 永遠を
 それは、太陽にとける海だ

映画のラストで、ダイナマイト自殺を遂げる、ジャン・ポール・ベルモント
爆煙が流れる断崖のロングショットに重なる、アルチュール・ランボーの詩。

村上龍「69」のアダマのように、そこから、青春が大きく転回することはなかったが、「気狂いピエロ」を観たあの夏のことは、よく覚えている。

「コウジ」は決して、「気狂いピエロ」のベルモントのように、退屈から逃げ出したい、と苛立っている男ではなかった。だから、「コウジ」のことを語るのに、この映画を引き合いに出すのは、少し雰囲気が違うのだが、「気狂いピエロ」というと、奴を思い出す。
それは、オレの方が、退屈から逃げ出したいと苛立っていた頃、「コウジ」の姿に嫉妬していたからかもしれない。

「コウジ」は、二十数年前、始めて出会ったときから、ひとつ年上ということを割り引いても、大人で、カッコよかったのだ。


「コウジ」とは、もう数年、没交渉だ。既に二児の父親になっている「コウジ」だが、今ではどんな雰囲気でいるのだろうか。
もう中学生のはずの娘さんにとって、二十数年前に、オレたちの前に現れたときのような、カッコいいお父さんになっているだろうか。