犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

あるある21日

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=147322&media_id=2

このニウスは、本当にイヤだ。
捏造した側を弁護するつもりはないが、怒りを顕わにしている消費者ってのは、本当にみっともない。

先日、納豆が品薄になっている、と云うニウスについて、マイミクさんが日記を書いていたので、「テレビは、イグアノドンの卵だと痛感する」とコメントを残した。
マイミクさんは、「イグアノドンの卵」と云う言葉の意味が分らなかったらしく、質問を返して下さったので、後日、自分の日記に、それについて書く、と答えた。

で、しばらくしたら、くだんのネタは捏造だった、という新たなニウスが入り、話は、妙な方向に展開し始める。
この展開になったことで、オレは、「テレビはイグアノドンの卵だ」という思いを、より強くしている。

「イグアノドンの卵」とは、日本のテレビの黎明期、昭和33年から、日本テレビで放映されていたバラエティ番組「光子の窓」のスペシャル版のことだ。
ある盗賊がスポンサーになり、低俗なテレビ番組を創る。これが人気番組になり、国民が夢中になってテレビを観ている間に、盗賊団は、ありとあらゆるものを盗んでいく。

盗賊の首領の目的は、テレビの力で人心を掌握し、世界を征服することだった。
その意図に気づいた人々は、首領を追い詰めるが、「我々にはもうひとつ武器がある」と宣言した首領は、核爆弾のスイッチを押す。
世界は崩壊し、何もなくなった荒野の真ん中に、ポツンとテレビだけが残される。

イグアノドンの絵をバックに、案内役がこう語る。

「これはあくまでお話ですが、テレビには気をつけてください。見方によっては、おそろしいことになります。・・・さて、これは中生代に栄えた爬虫類ですが、私たちはこのイグアノドンの卵を二つ持っております。一つは原子力、もう一つはテレビです」
小林信彦「テレビの黄金時代」の記述より引用)

今回の、「あるある」での顛末を見ていて、オレが第一に怖いと思ったのは、納豆が品薄になった、と云う点だった。
「ダイエット」という言葉に飛びついて、猫も杓子もスーパーに駆けつけ、納豆を買い占める、という感覚は、どう見たって健康的とは云えない。

「テレビでやっていた」
「あの司会者が云っていた」
「あのタレントが着ていた」
「あのアイドルが食べていた」

こんなことで、右へ倣えで走り出す大衆の、どこに正義があるものか。

「テレビの通りにやって、食べていたのに効果が無い。おかしいとおもった」

何を云ってるんだ、こいつは。
痩せたいのか? だったら食うなよ。運動しろよ。それが一番確実だろう。
テレビの言葉を鵜呑みにして、善良な市民を気取っているが、こういう連中が、風評に左右されて、魔女狩りを起こすんだ。

無責任な大衆が、被害者面して暴力を振るう。
今回の顛末で、改めてそう思った。
自分は無力な大衆だ、と信じている連中が、一番始末に終えないのですよ、実際。

日曜、「マリー・アントワネット」を観てきましたが、感想は後日。