犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

気難しさの勧め

最近、気が短くなったんじゃないかなぁ、と感じることがしばしばある。

今朝も、出勤するために、地元の駅に向かったが、改札の人ごみの中に、くわえタバコの若い男を見かけた。
もう、それだけで、腹が立って腹が立って、仕方が無い。

オレも喫煙者だが、そういうところはわきまえている。
人ごみの中、しかも、少し目を運べば、「終日禁煙」のポスターが貼ってあるような、駅の改札口で、平気でくわえタバコでいられる神経とは、どういうものなんだ。

しかもその男、見るからに軽薄そうな学生の風体。
もう少し、こちらの虫の居所が悪かったら、すれ違い様、くわえているタバコを引っこ抜いて、一発食らわせてやるところだ。

むう、書きながら、また怒りがぶり返してきた。どうしたもんだろうか。

最近、こういうことに敏感になっている。
電車の乗り込む列に、オヤジが割り込んできたりすると、もういけない。肩をつかんで引き戻し、睨みつけたりする。

この間など、満員の電車をやり過ごし、次のに乗ろうと、列の先頭に立っていると、電車に乗ろうとした若いサラリーマンが、混雑していたからだろう、諦めて、そのまま、オレの前に立ちやがった。
もう、考える間もなかった。オレは、読んでいた文庫本で、そいつの頭をはたいてしまった。
そいつは、一瞬、オレを見たが、すぐに列の後ろに回り、しばらくすると、違う列の方へ離れていった。

あまり、人のことを云えた義理ではないが、公共心とか美意識、といったものが、すっかり失われてしまっているように思う。

小林信彦氏が、「おかしな男 渥美清」という本に、渥美が語った、こんな言葉を記している。

「朝、起きる前から身体が痛いんだよな、節々が。そンでもって、外を歩ってて、子供がちょろちょろしてるのを見ると、妙に腹が立つの。で、ふっと考えるとさ。こっちが餓鬼のころ、町内に、なんだか知らねえけど、気むずかしくて、おれたちを怒鳴りつける爺さんがいたよ。ああ、あの爺さんが今のおれなんだって気づいた時には、なんか寂しいものがあったね」

いや、そういう気むずかしい年長者は、きっと必要なのだと思う。そういう人が地域のコミュニティにいたからこそ、子供や周りの人々は、世間知や美感、好悪の感覚を身に着けるのだ、と思う。

短気は損気、とも云うが、気難しさも必要なのだ、きっと。
そういう立場に、オレが立ちつつあるのだ、としたら、少し寂しいんだけどね。