犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

言霊

学生時代、芝居ばかりしていた。

演劇部にいた友人に誘われ、助っ人感覚で学園祭の公演に参加し、気がついたら、中心人物になっていた。
劇作、演出、出演。学生演劇経験者の多くがそうであるように、なにからなにまでこなした。
授業など全く出席せずに、登校すれば真っ先に部室に向かい、本を読み、音楽を聴き、議論し、身訓し、麻雀をし、賭けビリヤードをし、酒を飲み、ギターを弾き、台本を書いていた。モラトリアムもいいところで、永遠に続くかと思える日々を、無為に、そして有為に、過ごしていた。

21歳のとき、一本の芝居を書いた。恋愛についての芝居だった。上演時間の半分は、延々ギャグばかり続き、観客はゲラゲラ笑っていた。クライマックス、ウルトラヴォックスの「ニュー・ヨーロピアンズ」にのせて、緊張感溢れるシーンを畳み込み、ラストシーンにはジョン・レノン「ラブ」を流して、主役に静かなモノローグを語らせた。

終演後、客出しをして、舞台に戻ると、客席で、観劇していた友人が泣きはらしていた。彼は、目を真っ赤にし、体を震わせ、泣いていた。客席から立ち上がることさえ出来なかった。

オレは呆然としていた。そんなになるまで感動してくれた友人に感謝するのと同時に、他人の心をこれほどまでに揺さぶる、言葉というものの力に戦慄していた。オレの言葉が、友人をこれほど揺さぶった。そのことに感動し、恐怖していた。

言葉は、発した瞬間に、発信者の意図を離れ、誰かの心に届く。誰かの心を包み、誰かの心を刺す。言葉は人を救い、言葉は人を殺すのだ。

オレは学生の頃、その力の一端を見、思い知った。思い知ったはずなのに、未だに翻弄され、歯噛みしている。

最近のニウスの、教育者たる立場の方々の、不用意な発言の数々について、少し感じたこと、である。