犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

FLYING KIDS と PSY.S について

iPod nanoを購入した。2Gの容量、好きな曲入れ放題!(イヤマア、2Gの限度はあるわけで、厳密には、入れ放題なわけではないですが)ッてなもんで、古いCDや、パソコンに取り込んである曲を、どんどんアップしているのだが、改めて、20年ほどの間の嗜好が、さほど変化していないことに気づいた。
まず第一にFLYING KIDS、次にPSY.S、というランキングは、未だに変わっていない。何れも、既に解散しているのだが、彼らを超えるアーティストにもバンドにも楽曲にも、とんと出会わない。
20代前半というと、大学の授業にも出ずに、芝居ばかりやっていた頃だ。一番、感受性が研ぎ澄まされていた、という実感がある。その頃に出会い、圧倒的に好きになった、FLYING KIDSとPSY.S。
片や、唯一無二のグルーヴ感で押しまくる骨太のソウルと思いきや、スッとはずしてみせる茶目っ気も兼ね備えたイカすバンド。
片や、打ち込み系のデジタルサウンドとお洒落な歌詞が、チャカのハイトーンボイスで軽やかに駆け抜けるスーパーポップユニット。


PSY.Sの最高傑作にして、J-POP史上屈指の名曲(と断言してしまおう)「Woman.S」の、新しさとスピード感とキュートさを兼ね備えている曲が、2005年の今、どれほどあるだろうか。20年も前の曲だというのに。



磁石のように 呼び合った心を
20世紀には 迷うことばかり 多くて


そう、20世紀の曲なんだよ、「Woman.S」って。あくまでも「今」を切り取った歌詞。それが、どこまでも未来に開かれている、この先進性。PSY.Sよりも楽しませてくれるアーティストはいくらかある(ユニコーンRIP SLYMEなんかが、その意味で好きだ)けれども、PSY.Sの新しさを乗り越えるアーティストには、未だにお目にかかっていない。勿論、「Woman.S」を超える楽曲にも。


FLYING KIDSについて云えば、初期の作品がとにかく素晴らしいし、今でも大好きだ。「幸せであるように」「きのうの世界」「毎日の日々」「長い道のり」「歌の思い出」「新しい方々」「明日への力」「一日の終わり」「胸のチャイム」「カナリヤ」「恋人だけじゃ愛が足りない」・・・。
伏島和雄のベースと丸山史郎のギターが絡み合う狭間を、浜崎貴司のボーカルが気持ちよく泳いでいく。同じハマザキでも、浜崎あゆみのような、デジタルに整えられた感は一切ない。野生のハマザキのボーカルは、リズムとメロディを潜り抜け、聴くものの心に突き刺さってくる。それでいて、なんとも云えないチャーミングな歌詞。
「毎日の日々」を引用してみる。



こんなに豊かな 国なのに
いっぱい働かなければ 暮らしていけないし
迷路みたいに ウネウネ続いてく
頑張って頑張っても お家は買えないし


4行目の「お家」という言葉のチョイスこそ、正に、稀代のソングライター且つパフォーマー浜崎貴司の面目躍如だ。こんな言葉、そうそうチョイス出来ないよ。紛れもないフツーの日本語なのに、言葉がグルーヴに乗って、迫力と遊びを生み出す。メジャーど真ん中でないが故の余裕とでもいうべきか。初期FLYING KIDSには、そんな心揺さぶられる快感が溢れている。

両グループとも、昔持っていたCDは、随分、売っぱらってしまっている。勿体無いことをした。FLYING KIDSなんて、オリジナルアルバムのほとんどが廃盤なのだ。残しとくべきだったよなぁ、と後悔している昨今なのであった。


今の職場は、空調28℃厳守、一応、クールビズが認められているので、ノーネクタイで仕事が出来る。
まあ、オレは、ネクタイ好きなので、どちらでもいいのだが、涼しいのに越したことはないので、仕事中、ネクタイははずしている。
今週に入って、朝夕が随分涼しくなったので、上着を着て通勤しているが、1時間半の通勤時間の間に、少なからず汗をかく。職場に入り、デスクについたところで、ネクタイをはずし、端末に向かう。
今日も、いつものように、ノーネクタイで仕事をしていると、いつもより涼しい。風が吹き込んでいるのだ。あれ、と思い、顔を上げてみると、窓が開け放たれていた。
心地いい風が吹き込んでくる。あぁ、丸いなぁ。秋の風だ。いよいよ、いい季節になってきた。
今週末も3連休。仕事は立て込んでるが、うまくやりくりして、しっかり休んで、どっか出かけよう。