犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

タイスケは 親父に逢ひに 行きにけり

1999年に我が家にやって来て以来、大事な家族の一員だった、ラブラドール・レトリーバー、タイスケが、昨日の夜、動物病院で息を引き取った。享年11。来月の25日に、12歳の誕生日を迎える直前だった。

去年の夏、急に食欲を無くし、病院に連れて行くと、リンパ腫だと診断された。1.5倍程度に腫れた脾臓を摘出し、以後は、抗がん剤を投与する治療を続け、寛解を目指していた。毎週投与していた抗がん剤も、2週おきになり、3週おきになり、年末は、普通に食欲もあるし、排便も正常だし、見た目も元気だし、次回の投与予定日である、1/8に向けて、こちらも油断していたのかもしれない。

12/30辺りは、首の周りのリンパ節が腫れて、瘤のようになっていたが、元気もあるし、そのまま年を越した。1/1、2も特に問題なかったが、3日になって、急に食欲が無くなった。いつもなら、食器にドッグフードを入れる音を聞きつけるだけで、飛び掛らんばかりに近寄ってくるのに、ゆっくり頭を上げ、のそのそ近付き、鼻先で匂いを嗅いで、ぷいと横を向く。億劫そうに小屋に戻り、丸まって寝てしまう。少し減らして小屋の前に置いておくと、時間をかけてゆっくりと、食べることはしてくれた。1/8まで、様子を見なければならない。オレは5日から仕事だし、お袋独りではタイスケを病院まで連れて行けない。

そう思っていたら、6日の木曜、オレが体調を崩してしまった。朝、仕事場には出たが、体温は7度8分もあるし、眩暈はするし、吐き気はするし、午後休を取ることにする。帰る間際、ケータイを見ると、お袋から入電があった。折り返し電話してみる。朝、往診できないか、動物病院に連絡を入れたところ、夜の診察時間が終わったあと、連れて来て頂ければ、と云うことだった。オレは帰宅し、しかしその日は、夕方まで寝床でうんうん唸っていた。夜になり、車で5分程度の動物病院まで連れて行く。診察をしてもらい、このまま預けて治療してもらうことにする。点滴をし、調子が上向くようなら、抗がん剤を投与していきたいが、とにかく様子を見なければなりません。先生にそう云われ、オレもお袋も、最悪の事態を頭に入れておかないわけにはいかなかった。

明けて今朝。オレの熱は引いていたが、まだダルさは残っていたので、仕事は休むことにする。朝10時頃、動物病院から連絡がはいった。点滴をし、抗がん治療をしようとしたところで、痙攣が始まった。これでは100%助からない。申し訳ありません。

昼前に病院に行き、引き取ってきた。明日、動物霊園に運び、葬儀の予定。

そうか。タイスケ。よく頑張ったよ。痛いともなんとも云わずに、介護をさせるようなこともなく。昨日の夜、病院の診察室で別れるときに見せた、寂しそうな表情が、最後だったな。11年、ありがとう。お前のおかげで、楽しく暮らすことが出来た。親父も、お前が大好きだったもんな。天国で、一緒に遊んでもらいな。