犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

理屈をば 重ねる功徳 其はカルマ

早朝と、夜の深い時間は、随分涼しくなった。暑い暑いと云いながら、もうセミは鳴いていないし(日中はどうなのかな? 一日、デスクにかじりついて仕事をしているので、真っ昼間の外の雰囲気はちゃんと把握出来てないかもしれない)、トンボは飛んでいるし、夕方にはコオロギも鳴いている。人間が、異常気象だエルニーニョラニーニャロナウジーニョだパニーニだと、大騒ぎしている間に、自然は着々と、秋へと模様替えを始めている。と思いたい。暑いのは、もうゴメンだ。

中坊の、ギターを弾き始めだった頃には、スコアに書いてあるコードを、ただポジションを丸覚えするのみで弾いていた。分数コードや9th、11thと云ったテンションコードも、仕組みを意識せず、書いてある通りに弾いた。ポジション的に押さえにくい場合には、勝手に、トライアドや7thコードに読み替えていた。このツケが、今になって回ってきている。

例えば、オーギュメントなんて云うコードは、昔なら殆ど無視して、7thコードとして弾いていた。今は、?7th〜?7aug〜?Mと云う進行には、ちゃんと意味があるので、意識して弾いている。ピアノと合わせる時は、ピアノに任せて、トライアドで最小限の音しか出さない、と云う選択肢もあるが、ギターで歌伴となるとそうはいかない。如何にコード進行の意味を見極め、また、解釈を拡げ、書いてあるコード以外の音を選択するのか、と云うことを考える。

意識の問題なんだろうが、フォークソングだけダラダラやっていたら、こうはならなかったような気はする。ジャズに足を踏み入れた、功徳と業なのだろうか。

音楽は、感性も勿論要るが、長年、システムエンジニアを務めてきた身としては、理論、理屈の部分を考えるのも面白くて、ウム、ジャズってやっぱり、身を滅ぼす音楽なのですね。

と云う訳で、ライブに向けての個人練で、色々捏ね繰り回して悪戦苦闘中。面白いんだから仕方がないね。