犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

「朝マクド」とは 云ひにくい やはり 「朝マック」

93年の4月から、97年の3月まで、丸4年、当時属していた会社に転勤を命ぜられ、東京都民だったことがある。
纏まった休みがあると、その度に帰阪して、演劇部の後輩の芝居を覗きに行った。殆ど何も無い状態から立ち上げ、それなりに芝居を創る態勢まで、部のスキルを積み上げた自負のあるオレとしては、その道筋の先に立ち、当然のように、芝居小屋を借り、時には大阪城公園にテントを張り、装置を組み、照明、音響のセットアップをし、芝居を創り上げている後輩達の活躍が、嬉しくもあり、羨ましくもあった。

芝居が終わると、打ち上げにも参加した。学園祭では教室を借り、机や椅子を立てかけてそれなりの舞台を設営し、大量の電力はかけられないから、一般の室内照明器具を幾つも並べて舞台を照らし、個人持ちのステレオコンポを持ち込んで音響設備を整え、正に舞台を手作りしていた感じの、オレが現役の頃の話をすると、後輩達は溜息をついた。「そんな風な感じの芝居創りって憧れますわー」 イヤイヤ、やっている時は、それなりに楽しくもあったが、苦労の方が遥かに多いそんな状態に、敢えて戻ることなんて絶対にない。積み上げたスキルは、どんどん活用して、その上にまた、どんどん積み上げていけばいいのだ。履ける下駄があるなら、迷わず履いた方がいい。

打ち上げが跳ねて、それでも盛り上がっていたりすると、ちょっと場所を変えて軽く喋ろうか、と云う話になる。「どうや、マック行こか」「マック? 何云うてるんですか先輩、マクドですよマクド!」 オレは非難を浴びた。たかだか数年の東京暮らしで、関西人のココロを失ってしまったのか。

それ程深刻なことでもない。何てったって、東京で、何人かでお好み焼き屋に入ったりすると、「オレは、中学の頃、お好み焼きの成績が5やったんや」「何それ、どー云うこと?」「知らんのか、大阪ではな、中学の授業に、お好み焼きがあるんや。オレがコテを持つと、クラス中がどよめいて、オレのコテさばきに注目したもんや」「マジでー?」 コンパの際の、鉄板のつかみネタである。つかんだものの、その後の展開は、いつも芳しくなかったのだが。

マクドと呼んでもいいですか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1285645&media_id=40