犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

交はすこと 措いてはならぬ 人として

1ヶ月ぶりくらいで、仕事の面談の話が舞い込んだので朝から出掛けた。10時前に長堀橋、と云うことで、9時前に梅田に到着。天気が良かったので、約1時間かけて歩いた。

面談自体は15分ほどで終了。金曜に、元請側の担当者との二次面談があり、これでOKが出れば、早ければ来週から仕事になるかもしれぬ。1月末までの作業と、スパンは短いが、この際、決まってくれた方がありがたい。

面談を終え、特に予定もなかったので、今度は梅田までゆっくり歩いた。御堂筋を北上。途中、淡路町の辺りに、播磨屋本店と云うおかきの店がやっている、フリーカフェがあったので、少し休んだ。
店内に、何かヘンな看板が掛かっている。

「人はなぜ経済発展などしたがるのか」
「人生の幸せとは何の関係もないし、人も地球もただ苦しむだけなのに」

創業者の方が、かなり啓蒙的な方のようで、云いたいことは分からないでもないが、「なぜ経済発展したがる」かと云うと、「人だから」だと思うんですがね。
人は、交換をする生き物だから。それをはずして、人と云う存在は考えられない。
交換は様々に行われている。現物を実際に交換する場合もあるし、会話は言葉の交換だし、実質的な利害が無くとも、無償の行為が交換される場合もある。それが、人らしい生き方なのだ。
交換する生き物が人であり、その交換が社会としてシステム化し、経済と云う形に進行していったのだから、人が経済に思いを掛けるのは必然なのだ、と思うのですがね。

帰宅してから、ジョー・パスの教則DVDを観ている。輸入盤で字幕もないのだが、美しいコードプレイを観ているだけでもうっとりする。
あぁ、ギター巧くなりたいなぁ。