犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

噺終へて 去るか 星の王子さま

オレの、落語の原風景と云うのは、小学生の頃、お袋の実家である、京都の仕出し弁当屋で、住み込みで働く料理人の兄ちゃんの部屋に入って聴いた、桂米朝師匠のLPレコードだった。
折り目正しく、理知的で、しかし愛嬌のある、米朝師匠の噺を、幾つも繰り返し聴いた。中学に上がり、落語研究部に入部したオレは、米朝師匠の口跡そのまま、覚えた落語を学園祭で演じたりした。

落語好きの血は、だから子供の頃に染み付いたもので、以降も、幾つものレコード、CD、ビデオ、DVDを観た。生の高座を観たこともある。学生の時には、イベントのバイトで、六代目松鶴師匠のお弟子さんである、笑福亭岐代松師や笑福亭鶴笑師と一緒に舞台に立ったこともあった。

歳を経て、今でも落語好きの血は変わらない。上方落語より江戸落語の方が好きになったことくらいか。五代目春風亭柳朝の「蛙茶番」などは、湯船に浸かりながら鼻歌替わりに口にしたりする。当代立川談志は、東京に居た頃、フジテレビの深夜番組「落語のピン」を観て、随分ビデオに録画したものだ。

やはり好きなのは、五代目古今亭志ん生。死後36年。未だに音源が売れ続ける巨人だ。トロンととぼけたような雰囲気で、ぴしりと締める緊張感も見せ、とにかく面白い落語。息子の三代目志ん朝は、親父さんの雰囲気に、華やかさと色気を重ねて、現代の名人であった。亡くなって8年。

圓楽師を初めて観たのは、三波伸介氏が司会の頃の大喜利。当時のメンバーは、歌丸木久蔵、こん平、小圓遊、そして圓楽
この人の噺は、師匠の圓生譲りなのか、大仰に構えて堅い印象。人情噺も、思い入れたっぷりな分、重たい。志ん生のフラ、志ん朝の華やかさ、談志のテクニック(この人はテクニックは抜群。但し諧謔に過ぎることと、口跡の悪さが玉に傷)と云ったものがない。だから正直、オレの好みでは、聴くとなると4番手、5番手に下げてしまう。

とまれ、長年、「笑点」を支え、落語の大衆化に務めた功績は小さくない。
五代目三遊亭圓楽師匠のご冥福をお祈り致します。

笑点」でおなじみの三遊亭円楽さん死去
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