犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

あくまでも 超一流の アマであれ

直木賞作家、藤本義一は、映画監督、川島雄三の弟子だった。藤本は弟子入りするとき、川島に、「君はプロフェッショナルになりたいんですか」と聞かれ「はい」と答えると、続いて「プロとアマでは何が違うんですか」と問われた。
藤本は少し考えて、「嫌なことをやるから好きなことができるのがプロじゃないんですか。嫌なことを避けるから好きなこともできないのがアマというんじゃないですか」と答えた。川島はこれには何も返さず、クックッと笑って「それでは明日からついてきなさい」と答えたと云う。

オレがこのやりとりを知ったのは、大学を出て、アマチュア劇団を立ち上げる直前くらいだったと思う。どこまで行けるかは分からないが、芝居で行けるところまで行く気満々だった当時のオレに、川島と藤本のやりとりは、何ものにも換えがたい金言に感じられたものだ。

今は、少し違う。とは云え、プロフェッショナルの部分についての感動は変わらない。オレの職業はシステムエンジニアだが、プロのSEとして、嫌なこと、泥臭いことをこなすのも厭わない態度が不可欠だと思っている。有難いことに安くはない報酬は間違いなくその対価だし、なによりSEと云う仕事が楽しい。プライドを持って毎日従事している。

マチュアに関する部分には、今の立場からすれば幾らかの違和感がある。「嫌なことを避けるから好きなこともできない」という言質には、いやしくもプロフェッショナルを名乗りながら、とてもプロとは呼べないようないい加減な仕事しかしない連中への痛罵があるのだろうが、同時にその裏には「所詮、アマチュアのやっていることは、中途半端に終始する」と云うような軽侮もあるのではないか。大半のアマチュアはそうかもしれないが、貴重な時間を割いて、腹の底から趣味を楽しむアマチュアを、オレは幾人も知っている。そうありたいとオレも思う。あくまでアマチュアとして好きなことを極める生き方は、可能なのではないか?

一昨年のM-1グランプリで、唯一残ったアマチュアコンビ、変ホ長調が決勝で漫才を披露し、アマチュアならではのテレビのサイズを無視したネタ(フジテレビ某女子アナや某大物女性脚本家への揶揄)に大方の審査員が困惑する中、中田カウス師匠は「アマチュアと云うプロやね」と評した。いかにもカウス師匠らしいレトリックだったが、変ホ長調を評するこれ以上の言葉はないと思う。あくまでアマチュア。しかし、自分達が面白いと思うものを突き詰めて真摯に向き合えば、中途半端なプロなどなぎ倒してしまうクオリティを生み出せる。彼女達は見事にそれを証明して見せた。

オレは、「プロのようなアマチュア」になりたいとは思わない。しかし好きなことを突き詰めていって、「超一流のアマチュア」になりたい。映画も、観劇も、読書も、そしてジャズも。

それはきっと出来るはずだ。