犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

好事家の 玩具ぢや 所詮 使はれず

【コラム】 謎の言語 ヴォラピュクを巡るミステリー
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=354309&media_id=44

先日、森田芳光監督、織田裕二主演でリメイクされた「椿三十郎」を観たのだが、オリジナルそのままの脚本を使う、と云うことなので、気になっていたことがあった。

オレが「椿三十郎」を初めて観たのは、1986年、フジ系のゴールデン洋画劇場枠で放映されたときだった。地上波放映ということで、この放送では、3ヶ所、台詞の音声を消している部分があった。

1.井坂(加山雄三)が伯父の城代家老に、藩の重役の汚職の告発をして体よく追い返された際、その伯父に云われた言葉を仲間に報告する。
「お前達は、この俺を、少し××××のお人よしだと思って、案山子がわりに担ぎ出すつもりらしいが・・・」

2.城代家老では話にならないので、大目付に進言したところ、協力してくれると請合ってくれた、と云う経緯を報告し、仲間は喜ぶ。この話を受けて、仲間の一人、保川(田中邦衛)が、
「有難い。大目付が味方につけば千人力だ。××××のお人よしを案山子がわりに担ぐのとは訳が違う」

3.監禁された城代の奥方と娘を助けに、三十郎(三船敏郎)と若侍9人は屋敷へ。様子を伺うと、大目付の家来が3人、見張りについている。作戦を練るため、ひとまず馬小屋で相談。三十郎、井坂、保川、寺田(平田昭彦)の4人で、監禁されている部屋に戻ると、見張りが室戸(仲代達矢)に変わっていた。見張りは一人だけだ、と勇む保川に対して三十郎が諌める。
「てめえ×××か。さっきの奴らは三匹だが猫だ。今のあいつは一匹だが虎だぜ」

いったい何と云っているんだろうと思っていて、その数年後、WOWOWで黒澤作品がまとめて放映されたときに確認が出来た。
1.と2.は、お分かりになると思うが、同じ言葉である。「うすのろ」であった。今から20年前、フジテレビは「うすのろ」と云う言葉を、自主規制で消したのである。3.は「めくら」。まあこの言葉を消すのは、確かに分らないでもないが、「うすのろ」まで消してしまうと云うのは、驚いた。

で、今回のリメイク版では、「うすのろ」はそのまま使われ、「めくら」については、「てめえ、どこに目ェつけてんだ」に変えられていた。森田監督は、「うすのろ」は問題なしと判断した、と云うことだ。
と云うより、初めから問題になぞ、ならなかったのではないか、と思う。ひとつの言葉に過剰に反応した、20年前のフジテレビの感覚が、些かsensitive過ぎる、と云うことなのだろう。

言葉狩りと云う風潮は、はっきり云って気に入らないのだが、それも、言葉が文化装置であるからこその現象なんだろう。
コミュニケーションツールである以上に、世界そのものを判別する物差しでもある。言葉は、道具であり、歴史であり、文化であり、学問であり、個人の感情も、国家の意思も、明日の献立も、宇宙の法則も表現できる、文化装置なのである。

人工言語が、趣味的な世界から広がっていかないのは、文化としてのバックボーンが無いからなのだと思う。
エスペラントもそうだし、このニウスで取り上げられているヴォラピュクとか云う人工言語も、好事家の趣味ツールでしかないんだろうなぁ。