犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

リメイクと 云ふより カヴァー と呼ぶべきか

昨日の日記の予告通り、休みだが8時には起き出し、9時に車で出かけて、本日公開の「椿三十郎」の一回目上映を観に行った。
よくよく考えてみれば、今日は12/1。映画の日なのね。普段、映画の日ってあんまり気にせず観に行くので忘れてた。何にせよ、料金1000円で観られるのはありがたい。

客層は、やはり年配の方が多いようだったが、若い人もちらほら見かけた。まあ映画好きなら、黒澤作品の一本や二本は、観ていて然るべしだと思うが、今回が黒澤作品に初めて触れる、と云う方は、是非とも、これをきっかけに、他の作品も観てもらいたいと思う。
CGやワイヤーアクションを駆使した、最新のイベントムービーを追っかけるのもいいが、過去の作品を遡って観ていくと云うのは、正に宝探しの冒険の旅なのだ。

「用心棒」や「椿三十郎」は、黒澤監督のオリジナル版を、ほとんど台詞を覚えるまでに、繰り返し観ているので、今回のリメイク版も、ストレスなく観られた。
云ってみれば、オレにとって「椿三十郎」は、そのリズムが体に沁みこんでいる音楽とも云えるものなのだ。だから、このリメイクは、カヴァーとでも云えばいいのか。

去年の暮れ、やはりオールド映画ファンの食指を動かした、同じようなコンセプトのリメイク作品が作られている。
市川崑監督作品「犬神家の一族」。30年前のオリジナルと同じ脚本で、こちらは市川監督自身が再びメガホンを取った、云ってみればセルフカヴァー。
これは実にひどかった。
30年を経て、市川監督の中で育った奇妙な思い入れが、作品を変質させてしまった。その象徴が、ラストで、古舘弁護士が金田一を評して口にする「あの人、まるで天から来た人のようだな」と云う台詞。オリジナルでは、あくまで生身の人間だった金田一耕助を、聖化してしまっているのだ。
オリジナルを撮った市川監督だからこそ嵌った罠、とでも云うのか。

今回の「三十郎」のリメイクも、その点が心配だった。ほとんど伝説ともなっている作品。しかも主人公は、世界の映画史に残るヒーローである。いくらでも偶像化出来てしまう。

森田芳光監督と織田裕二のコンビは、ここの罠は巧みにクリアしていた。織田裕二演じる三十郎は、青島刑事の匂いもかすかにするが、ちゃんと生身の手触りのするキャラクターになっていた。むしろ、オリジナルの三船敏郎の方が、スーパーマンっぽく見えるくらい。

どちらが面白いか、と云うのは、はっきり云って無粋な話。云うまでも無く、オリジナルの方が面白いのである。
しかし、45年の時間を経て、21世紀に黒澤明の作品をリメイクする、と云う意味は間違いなくある。そう思う。

去年からずっと楽しみにしていた作品を、とりあえず押さえることができてよかった。
今年は、セッションに行きだしたことで、映画を観る本数がガクンと減ったが、やはりオレは映画好きだ。
来年は、もう少し映画の本数を増やそう。