犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

知らぬ間に 知らうと思ひが 起こらねば

たまたま、テレビをザッピングしていると、北海道のスター、大泉洋が映っている。
オレは、大泉氏は、そこそこ好きなので(去年の「シムソンズ」なんて、いい映画でしたよ)、ちゃんと観てみると、フジTV「僕らの音楽」で、中島美嘉との対談をやっていた。

中島美嘉は、あんまり興味がないので、歌の部分は流して聴いて、大泉との対談部分をちゃんと観ていると、その中で、中島美嘉が、こんなことを云っていた。

「私は、音楽をやっている割には、音楽のことを知らなくて、でもそれでいい、と思ってるんです。
先入観を持ちたくない、と云うか、知らないものは知らない、でいい」

この部分に、少し疑問を感じた。
知らないものは知らないでいい、と云うのは、ひどく消極的な態度ではないか?
音楽を生業としている者が、様々な他のアーティストのパフォーマンスに触れていけば、自ずと、そういう人々の技術、方法、感性、そういったものにインスパイアされるものではないのか?
そういう人々の技術、方法、感性、そういったものに触れないではいられないものではないのか?

「先入観を持ちたくない」というのは、カッコイイ言葉に聞こえるかもしれないが、つまるところ、不勉強の裏返しだ。

自分にないものは、自分の外から取り入れるほかない。
少なくとも、オレは、「知らないものは知らない、でいい」と云ってしまえる人の歌を聴いて、心は動かされない。
その人の歌には、その人しかいない。
その人が誰かと出会い、誰かと交わり、誰かと別れることで得るはずの、その人を超えたところにあるものが、込められているはずがないから。

全ての表現って、他者との距離の中に生まれるものなのですよ。