12年前を思い出す17日
もう、様々なところで触れられているのだろうが、やはり、書かないわけにはいかない。
12年前、1995年1月17日。オレは、東京で暮らしていた。
朝6時、いつものように起きて、テレビをつけると、なんだか様子がおかしい。「災害だ」と直感し、あわててNHKにチャンネルを変えた。
愕然とした。東海地震だなんだとはよく聞くが、西日本に大地震はない、といわれてたじゃないか。
とにかく、実家に電話をかけた。ニウスでは、地元の高槻は震度4だといっている。震度4だって、これまで経験はない。家族は大丈夫だろうか。
ところが、かけてもかけても、電話が繋がらない。こうなると、震度4とはいいながら、心配になってくる。
時間は刻々と過ぎてゆき、出勤時間が迫ってくる。着替えて、出勤の準備はしたものの、電話が繋がらないのでは、出かけられるわけもない。
7時前、出勤のリミット寸前で、ようやく繋がった。電話口に出たのはお袋で、オレの声を聞いたとたん、泣き出した。とりあえず、家族も家も大丈夫らしい。ようやく一息ついて、出勤した。
その日の夕方、職場の休憩室でニウスを観ていた。
傾いた高速道路。横倒しになったビル。燃え続ける長田の街。
沈鬱な思いで画面を観ていると、仕事のチームの若手が、軽口を叩いた。
「僕はマア、こういうことがあるってことは、わかってましたけどね」
普段から、何かにつけて冗談に紛らす男で、いつもなら笑って突っ込むのだが、この日ばかりは違った。無神経で無遠慮な軽口に、ブチ切れてしまった。
「お前、オレの地元が被災しとんねん。ええかげんな口きくと、承知せんぞ!」
1月17日が来るたびに、このことを思い出す。
自分の生活と、世界は、カンケイなく存在している。
どこかでそう思っているからこそ、あんな口がきけるんじゃないだろうか。
気づかぬ内に、現実は忍び寄り、おびやかされるかもしれないのに。
勿論、オレのなかにもある感覚として。
震災で亡くなった方々のご冥福を、改めてお祈り致します。