犬と暮らす人

2011年1月まで、ラブラドール・レトリーバー「タイスケ」と暮らしていた、表はフリーのシステムエンジニア、裏はなんちゃってジャズギター弾きの日常。

ブログ一周年

このブログを始めて、一年が経った。
去年の十月や十一月は、そこそこ頻繁に更新していたが、今年の四月にmixiを始めてからは、軽い日記はそちらにアップするので、ここ数ヶ月は、更新頻度が減っている。
住み分けも混乱してきた。長めの文章や、映画、芝居、音楽の感想はこちらに書き、埒もない日記は、あちらに書く、としておきたいのだが、どうも、mixi中心になりつつある。
mixiは、基本、友人の集まりなので、毎日巡回してくれる。人の目に触れる機会も増えるし、レスポンスもあるので、どうしても力が入る。
しかし、自動リンク機能のおかげで、初めての人と出会える面白さが、はてなにはある。閉めるつもりは毛頭ない。
なんとかかんとか、一年続けてきたのだから、これからも並行で進めていこう。

それにしても、ジオシティーズのページは、もう数年、ほったらかしだ。あっち、どうするかなぁ。


楽天が、TBSの株を買ってたんだと。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051013-00000001-yom-bus_all

村上ファンドも噛んでるという。
株の売買は、正当な商取引だし、誰しも金儲けはしたい。いっとき、「清貧の思想」なんていう本が売れたこともあったが、努めて貧乏になることなんか無い。
でも、身の丈ってことはあるんじゃないか。
火曜日の、阪神電鉄トップとの会談を終えて、記者団の前で、目を剥いてまくし立てた、村上世彰氏の姿は、一言で云って、みっともなかった。
灘中、灘高、東大、通産省。学歴、経歴も申し分ない。相当に頭も切れる方なのだろう。自信に満ち溢れている
でも、みっともなかった。
誰にだって、向上心はある。オレにだってある。金、地位、名誉。この世の全て、ひとつなぎの秘宝、ワンピースを手に入れたい。
ゴールド・ロジャーのように、最期に残した一言で、世界を動かしてもみたい。
でも、それ以上に望むことがある。
自分の身の丈を、見誤りたくない。しみったれたマネはしたくない。みっともなくはなりたくない。
矜持を守りたい。踏みとどまっていたい。
言い訳ではなく。
信念として。

あー、それにしても、もうちょっと儲からないかなぁ。


ナノを買ったので、音楽ダウンロードサイトを廻っていたら、懐かしい曲にぶち当たった。
荒井由実の「海を見ていた午後」
松任谷ではありません。あくまで荒井由実

ダウンロードして聴いてみたが、改めて、ユーミンの魔力を思い知らされた。


 あなたを思い出すこの店に来るたび
 坂を上ってきょうもひとり来てしまった
 山手のドルフィンは静かなレストラン
 晴れた午後には遠く三浦岬も見える

 ソーダ水の中を貨物船がとおる
 小さなアワも恋のように消えていった


「ドルフィン」や「三浦岬」と云う固有名詞を使って、印象を際立たせる手法には、今更、驚かない。
凄いのは最後の行。
「小さなアワも恋のように消えていった」
この部分には震えた。なんという表現だ、これは!
凡庸な作家なら、「小さなアワのような恋」としてしまうところだ。
しかし荒井由実は、具象(アワ)を抽象(恋)によって比喩している。小さなアワが目の前で消えていく。目に見える現象として消えていく。
消えていくアワを、恋のようだと描写して、本来比喩したい抽象(恋)の儚さが、よりくっきりと描き出される。
この主客倒置によって、伝えたいイメージが、ほぼ正確に、聴き手に伝わる。
ソーダ水越しの海。貨物船。アワ。そして儚い恋。
全てが、抽象までもが、映像として、聴き手に伝わっていく。
20年以上前に作られた作品の、恐るべき魔力に中てられて、荒井由実を聴きなおした方がいいのではないかと、改めて思わされた。松任谷ではなく。